書物が破壊される原因はいくつかあるが、人為的なものが目立つ。たとえば、戦争があるたびに書物は破壊される。石板、パピルス、紙とメディアは時代とともに変化しても、それはずっと続いてる。書物を破壊することは、文化の破壊であり、アイデンティティを破壊すること。あるいは、敵対する言説を封じ込める。逆に言えば、書物は文化やアイデンティティ、思想と不可分なものということだ。
こうしたことが繰り返されまくりで、読んでいてつらい。歴史を知らないと歴史を繰り返してしまう。権力者側は知っていて繰り返しているかもしれないけれど。独裁したい立場だったら、本は有害なのだろう。ただし本を排除して独裁が少し延命したとしても、国全体は確実に沈んでいく。そして本がなくなると、歴史から学ぶことだできずにまたもう一周してしまう。
本の破壊というと真っ先に思い浮かぶのは、レイ・ブラッドベリ『華氏451度』。『書物の破壊の世界史』でも言及がある。紙の自然発火温度をタイトルにしたこの小説は、本の所持が禁止された世界を舞台にしたディストピアもの。主人公は本を焼く仕事をしているが、ある出会いから本の魅力に気づいて抵抗を始める。
本に興味をもった主人公を上司がさとすシーンでのセリフ、
「ひとつの問題に二つの側面があるなんてことは口が裂けてもいうな。ひとつだけ教えておけばいい。もっといいのは、なにも教えないことだ。戦争なんてものがあることは忘れさせておけばいいんだ。」
思想はしばしば対立していさかいを起こすので、そもそも対立する思想がないようにしてしまう。ハクスリー『すばらしい新世界』もそうだが、幸福と真実が対立したときに真実を徹底的に伏せるというパターン。一番単純で安易な多様性への対応という気がする。
それとは別に、本が禁止された世界で孤立しながら読書している人の渇望感と情熱が印象的だった。本を分担して記憶していたりする。暗記しなければ、もう読めないかもしれない。メモすることもできない。その緊張感のなかで読書するってどういうことなんだろう、と思う。
最後に、本への渇望と情熱を強烈に感じたノンフィクションを。ジョゼフ・チャプスキ『収容所のプルースト』(訳/岩津航 共和国)。これはすごい本だった。
ソ連の収容所の囚人たちは、労働する日々の中でそれぞれの関心事について交代で講義をはじめる。そのひとつの記録。収容された著者は、作家プルーストに関する連続講義を行う。収容所なので当然本はない。それでも『失われた時を求めて』の場面やフレーズを正確に再現した。記憶だけで行われるその講義に人々は聞き入ったという。
僕はプルーストを読んでいないので、内容についてはあまり踏み込むことができないけれど、この状況のすごさはわかる。生き死にの問題に直面してる人々が文学を通じて、生きている意味を考える。精神の衰弱と絶望を乗り越えるための知的作業だったという。
書物の破壊の世界史――シュメールの粘土板からデジタル時代まで
- 作者: フェルナンド・バエス,八重樫克彦,八重樫由貴子
- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 2019/02/28
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