山際淳司『スポーツ・ノンフィクション傑作集成』①

山際淳司が生前に自薦した作品を中心に編まれた、スポーツ・ノンフィクションの傑作集。2段組800ページの大著で80篇を収録している。ここに書いたのは、ページ数にして冒頭の4分の1にあたる5篇について。ここまではすべて野球がテーマとなっている。

山際淳司の文章を読むのは初めてだったが、シャープな文体が好みにあう。そして内容も傑作集成の名にふさわしいものばかり。

山際淳司スポーツ・ノンフィクション傑作集成

 

「ルーキー」

1986年、清原和博西武ライオンズに入り、プロ野球選手としてのキャリアをスタートする。甲子園で本塁打記録を打ち立てたそのルーキーの活躍は目覚ましく、いきなりプロ野球史にも名を残すことになる。その年、清原の話題が世間をにぎわせるなか、高校時代の清原と戦った者たちを取材していく。

甲子園でPL学園相手に投げたピッチャーたちがメインの取材対象となる。清原を抑えた伊野商の渡辺、打たれた高知商の中山、打たれることができなかった宇部商の田上。それぞれのしかたで清原を意識せずにはいられない。清原との対戦の記憶とその後の進路を知ることになる。

とりわけ印象的だったのは、清原と同学年でPL学園のキャプテンをしていた松山の話だ。桑田、清原とともに1年の夏から5期連続で甲子園に出場した、最強の時代を経験している。当然ながらPL内の競争は激しく、ほかのチームであればエースか四番かという選手がごろごろいる。中学ではエースで四番だった松山は、早々に野手転向を告げられる。

かつて彼らは皆、ナンバーワンだった。自分を中心にゲームは展開していた。それがとんでもない間違いだったことを、思い知らされる。とてもじゃないが、かなわないと。彼らはつぶやかざるをえない。おれは所詮、ダイヤモンドではなかった、と。

 

周囲を取材することでいくつもの接線をひき、ある人物の輪郭をとらえようと試みる。スターは人間関係や環境のなかで生まれ、そして新しい関係や環境をつくり、相互に影響を及ぼしている。

この方法は、近作だと羽生善治を題材にした鈴木忠平『いまだ成らず 羽生善治の譜 が記憶に新しい。清原に関する著作もあるので、本作が念頭にあったのだと思う。

 

江夏の21球

スポーツノンフィクションの傑作として、真っ先にあがるタイトルのひとつ。1979年11月4日、日本シリーズ第7戦の9回裏。広島が1点のリードを守りきれば、日本一が決まるという場面。その回、江夏豊が投じた21球にドラマを凝縮させる。

冒頭は19球目のシーンからはじまる。一死満塁で失点を覚悟する場面。近鉄がしかけたスクイズを、江夏は変化球でかわす。その印象的な場面を見せたうえで、1球目から丹念にそのイニングを再構成していく。

九回の守りにつく前、江夏はベンチの奥に坐ると、ショート・ホープを一本とりだして火をつけた。点差はわずか一点リード、残るイニングは一回――。

《ここを投げ切れば》と、江夏は考えていた。《もうしばらく野球はせんでもいいだろう》

それから約二十六分間、江夏は大阪球場のマウンドに立ち尽くし、"勝者"と"敗者"の対角線上を激しく往復する。

この21球のなかで、いわば絶体絶命のピンチをむかえる江夏の心情は激しく動くことになる。平常心、誤算、同点の覚悟、リリーフを準備するベンチへの苛立ち、衣笠の言葉、そして冷静。江夏だけではなく、打者、走者、両監督、ネット裏で観戦した野村克也への取材も行い、その場面でなにを考えていたのかが多面的に描かれる。

これほど贅沢な野球観戦があるだろうか。野球場で見る、テレビで解説を聞きながら見る、それぞれの方向に良さがあるが、文字でスポーツを読むことの可能性を感じた。書き手の熱量を喚起するほどのシーンであったからこそ、と思いながら。

 

「スローボールを、もう一球」

夏の大会が終わると、高校野球部は新しいチームとしてスタートする。3年生の引退にくわえ、1980年の県立高崎高校は監督も新しくなった。その年の秋、関東高校野球大会で、県立高崎は思いがけず甲子園の切符を手にすることになる。

このストーリーの主人公は新しい監督とエースの2人であるが、どちらも甲子園へ行くことのリアリティーをもっていない。なぜここまで来てしまったのだろう、という気持ちがある。

というのも、新任の飯野監督には野球のキャリアがほとんどなかった。ほかに人がいなかったから、という事情で監督に就任してからまだ4か月も経っていない。

エースの川端はどこかさめていて、厳しい練習を嫌う。「惰性で野球を続けている」とすら言う。しかし、打者との対戦では頭を使うことを惜しまない。スタイルは本格派とはいえないが、コントロールよくコーナーをつくことを得意とし、超スローカーブを武器にしている。

スローカーブを投げたときのバッターの表情を見ていると、バッターがどんな気分か、手にとるようにわかるんだ》――川端はそう考えている。

ムッとした顔をする打者がいる。バッター・ボックスを外してことさらに無視する打者がいる。そのスローカーブを打ってやろうという打者がいる。思わずニヤッとしてしまう打者がいる。

 

名門の強豪でもなく、がむしゃらなダークホースでもない。2人の主人公らしくない主人公たち。あまり語られないタイプの物語だが、高校野球ならではの細部がつまっている。彼らを取材するセンス、そしてタイトルのセンスが素晴らしい。

 

 

 

「異邦人たちの天覧試合」

1959年6月25日の巨人阪神戦は、天皇が観戦した初めての天覧試合だった。その試合は、最後の一球によって記憶されている。4-4で迎えた9回裏に、長島がレフトスタンドへとサヨナラホームランを打ったのだ。その劇的な幕切れは、後年まで語り継がれることになる。

しかし、と著者は考える。最初の一球はどうだったのだろう、と。

四万人の観衆とテレビカメラが見つめる中で、ピッチャーが投げた。バッターは見送った。アンパイアは、ややおもおもしい声でいう。「ボール」

それだけのことだ。そこでは何ごともおこらなかった。少なくとも最後の一球に比べれば、じつに日常的な一瞬だった。

日常的だけれど、しかし、しばらくそこにこだわってみたい気がする。その、何でもない一球のことをおぼえている人もいるのだから。「最後の一球」という、あまりにきらびやかなドラマの、その強烈な光によってさえぎられ、見えなくなってしまいそうないくつかのことがらを、彼らは語ることができる。

この試合を「最後の一球」とは違う文脈で、タイトルの通り「異邦人たちの天覧試合」として、ストーリーを再構築する。

 

試合の展開とともに描かれるのは、この試合に特別な気持ちでのぞんだ者たちの個人史だ。ハワイ生まれの日系二世で阪神の監督をつとめる田中義雄。同じくハワイの日系二世で、巨人の一番を打ったウォーリー与那嶺。7回裏に同点ホームランを打った中国籍王貞治阪神のコーチをつとめる韓国生まれの金田正泰。

彼らは戦後をどう生きたてきたのか。どのようにして職業としての野球にたどり着き、天皇の前で試合をすることをどうとらえていたか。プロ野球の戦後復興史ともいえるストーリーを、この試合の背景として重ねていく。

その一球から始まって、こんなところまで連れてこられるとは思わなかった。見事なストーリーテリング

 

バットマンに栄冠を」

副題には「衣笠祥雄の最後のシーズン」とある。プロ入り23年目、鉄人と呼ばれた男はルー・ゲーリッグがもつ2130試合連続出場記録を追い抜こうとしていた。45試合で追いつく。昨シーズンは不調に苦しめられたが、今年はどうなるか。衣笠のラストイヤーを追いかけながら、野球人生を振り返る。

開幕戦の対戦相手は大洋。先発は遠藤だった。二回裏、衣笠の、今シーズン、そして現役選手として最後になるかもしれないシーズンの、最初のボックスがやってきた。

その回の先頭バッターとして衣笠はボックスに入った。つま先で蹴るような、いつものリズミカルな歩き。衣笠祥雄はゆっくりとバットを振り、構えた。

カウント1-2からの四球目だった。遠藤の高めの速球を衣笠は打った。ぐいと、左に引っ張った。打球はあっという間にレフト前へ飛んで行った。衣笠はゆっくりと一塁へ走った。

最後のレースが始まった。

書き方寄りの感想を少し書くと、たとえばこの文章を読んだときに、山際淳司っぽいなと思うようになってきた。短い文章をリズムよく積み重ねていき、時々一文のみで改行する「決め」がある。これがかっこいい。リズムのために、読点を小刻みに打つのもいとわないことがよくわかる。

 

話を衣笠に戻そう。連続出場は他の記録と少し違うところがある。本塁打や打点であれば勝利への貢献がはっきりしているのに対し、連続出場は必ずしもそうではない。もちろん良い選手だから出続けるわけだが、記録がとぎれそうになったとき、勝負よりも記録のために、という動きがないわけではない。

最大のピンチは、死球によって退場となり、左の肩甲骨の亀裂骨折という診断を受けたときだ。試合後に監督は、明日も必ずグラウンドに来るようにと告げ、翌日の試合に衣笠は代打で出場している。三球三振となったが、痛みを感じさせないスイングを3回見せた。こうして連続出場は自分だけの記録ではなくなり、人情をふくめて背負うものが生まれていく。

ラスト、記録を塗り替えた衣笠はまた新しい目標をたて、グラウンドへと出ていく。実験をするというのだ。これが最後のシーズンという気配がまったくない。まだまだ続いていくかのように物語は閉じられる。

 

 

 

 

 

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「ルーキー」

 

 

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「異邦人たちの天覧試合」

 

バットマンに栄冠を」