将棋ノンフィクションを読む08――『盤上のパラダイス』、『人生の棋譜 この一局』

藤井聡太の快進撃がつづいている。今年に入って名人位も奪取し、8つあるタイトルのうち7つをもっている。残るひとつ王座への挑戦も決めて、史上初の八冠となるか注目されている。

そんな無類の強さをみせる藤井七冠は、詰将棋好きとしても知られている。詰将棋とは、将棋のルールを基本として、連続王手で相手玉を詰ませるパズルだ。そこにはふつうの対局(指将棋)とはまた別の、深淵な世界が広がっている。若島正『盤上のパラダイス』(河出文庫は、その一端を垣間見せてくれる。

盤上のパラダイス (河出文庫 わ 10-1)

本書の構成は次の通り。冒頭に詰将棋とはなにかという基本的な説明があり、著者と『詰将棋パラダイス』という雑誌との出会いが描かれる。そしてその雑誌の誕生からの歩み、詰将棋の世界の住人達の紹介がある。

この『詰将棋パラダイス』には、実にさまざまな人々が群がっている。たとえば、

詰将棋芸術に命を賭ける人、

詰将棋を解くのが生き甲斐となった人、

健全娯楽として詰将棋を楽しむ人、

この雑誌を眺めているだけでも楽しい人、

この雑誌作りに情熱を燃やす人、

……。

わたしがこれから綴るのは、そうしたパラダイスの住人たちの、愛の物語である

パズルが好きだった著者は、一人っ子ということもあって、指将棋よりも詰将棋をやるようになる。お小遣いのやりくりという「ごく単純な算数のせい」で漫画雑誌から将棋雑誌へと乗り換えた。雑誌や本にのっている詰将棋を解きながら、創作のほうへも進んでいく。

 

中学生になり、詰将棋の創作について『将棋世界』に投稿すると、それを見て送られてきた葉書で『詰将棋パラダイス』のことを知る。教わった通りに編集部へ送金すると、冊子が届いた。

わずか八十頁の小冊子にすぎないが、その中身が凄かった。表紙から始まっていたるところに詰将棋が懸賞出題され、さらには過去に出題された問題の解答とその解説が細かい活字でギッシリと盛り込まれているのである。始めから終わりまで全部詰将棋という雑誌を見たのは、このときが初めてだった。特におもしろいのは、この雑誌独自の「学校制度」であった。詰将棋作品の手数に応じて、幼稚園・小学生・中学校・高等学校・短期大学・大学・大学院と分類され、それぞれの「学校」には「担当者」なる人物が一人配置されていたのだ。

 

この雑誌をきっかけに、詰将棋の奥深さを目の当たりにし、本格的に創作に打ち込むようになる。その翌年には、詰パラに初めて作品が掲載される。

京都市 若島 正氏作」。この活字がどれほどわたしを有頂天にさせたことか。とりわけ、「氏作」という二文字がわたしを興奮させた。まだ中学生、世間知らずの、ほんのガキにすぎないわたしが、この詰パラの世界では「氏」と呼ばれるのだ!わたしはその小冊子を何度も取り出しては、「若島 正氏作」の載っている一〇頁目を繰り返し眺めた。そうやっているだけで二ヶ月という期間はあっというまに過ぎ去った。

結果発表の載った号、わたしの作品は幼稚園で投票首位になった。これが「初入選」であった。

 

 作としてはまず水準であろうが、ならしてよく得票し若武者初陣を飾る。オメデトウ。これにおごらずいよいよ精進して下さい。

 肥塚光夫――角捨てがカギ。

 松本勝秋――一手一手味のある作。この作者新人(実は私がスカウト)なれど初発表とは思えない作。

 村松秀雄――2四角成はこの形の定跡でしょう。

 

引用部の最後にあるのは、編者や解答者たちのコメント。文章からは一癖も二癖もありそうな風格がただよっていて、この雑誌の雰囲気をうかがい知れる。詰将棋マニアという、いってみれば究極の個人プレイの達人たちによる、凝縮されたコミュニケーションがある。

詰パラとの出会いは、文化をつくり楽しんでいる大人との出会いでもある。『詰将棋パラダイス』を編集する人。詰将棋の作成者。雑誌を読んで答えを送る解答者。送られてきた詰将棋が完全であるかを見極める検討者などなど。いろんな立場の楽しみと苦悩が描かれる。とくに作成者と検討者のバトルは、論文の査読みたいな緊張感を感じる。

継続していくなかで、良い作品とはなにかという評価基準が共有されたり、業界用語が生まれたり、変則ルールを考えたり、作品の間に影響関係があったり。文化をつくるというのはこういうことだなと思う。なにかが伝えられて続いていく。1988年に出たこの本が、2023年に文庫化されたことも含めて不思議な気持ちになる。

 

* * *

 

河口俊彦『人生の棋譜 この一局』(新潮文庫も30年ほど昔の本。プロ棋士が書いた将棋界の時評的な文章がならぶ。時事的な話題にくわえて、一局を取り上げて盤面の解説が入る。1990~1994年の「小説新潮」に連載していたらしい。自分はリアルタイムで知らない時代、というか生まれていないので新鮮な気持ちで読んだ。

人生の棋譜 この一局(新潮文庫)

当時は中原誠谷川浩司が名人を争うころ。また、病と闘いながらA級に残り続ける大山康晴の晩年にあたる。いわゆる羽生世代の棋士はまだ若手で、勝ちまくっているが順位戦はまだまだ上に向かっている途中。いまでは羽生世代と呼ばれるが、作中では「新人類棋士」と書かれていて時代を感じる。

屋敷伸之の最年少タイトル獲得の話題がでてきたりと、若手が頭角を現してくる。とはいえ、一気に将棋界が変わるわけではない。どうも羽生世代が急速に将棋界を席巻した、みたいなイメージをもってしまうが、当然ながらベテランの厚い壁にぶつかりながら、山あり谷ありで時間をかけて変わっていったことがわかる。

勝ち上がってくる若手に対して、著者は強さを認めながらも、あっさりした終盤への不満を書いている。寄せがうまいというより、不利な局面を持ちこたえることができないという見方。人間的魅力がないとまで言っている。終盤の混戦のなかで逆転する大山、中原、米長といった年長者のほうがおもしろいと。

 

 

書き方という面からみると、率直といっていいのか、かなり厳しくて辛辣。心の弱さみたいなところまで踏み込んで、棋士たちを叱咤激励する。あるいは、次の大一番はどちらが勝ちそうかなど、棋士間の評判も書く。このあたりがどう読まれていたのかは気になるところ。読者は楽しそうだけど、棋士はけっこうつらそう。

そういう意味で、いまどきなかなか見ない文章だと思う。もしかすると、棋士のファンは読みたくないタイプの文章かもしれない。著者自身もプロ棋士でインサイダーだから書けるのか、時代が変わったということか。公式も認めるファンブック的なものが好まれるなかで、こうした批評的なものの場所ってどこにあるのだろうとか思ったりもする。あまり詳しくないのだけど、いまでもこういう文章を発表されているのは先崎九段とかになるのかな。

 

その先崎学(当時五段)を書いたエピソード「坊主頭にする理由」がよかった。

その先崎が、五月下旬のある日、将棋会館にふらりとあらわれた。見ると坊主頭になっている。

仲間達は「師匠に叱られたんだろ」と、見て見ぬふりをしていた。例の文章で米長を怒らせた、というわけ。私はまさかと思った。人にとやかく言われて坊主になるような軟弱な先崎ではない。

とりあえず「どうした。失恋でもしたかい」と言ってみると、「いやとんでもない。明日、森さんと対局するからです」

森さんというのは、「終盤の魔術師」という異名をもつ森雞二のこと。若き日の先崎は森の将棋を並べ、盤に向かうときは森雞二になりきったという。昭和五十三年、森が中原に挑戦した名人戦第一局で、前夜祭まで長髪だった森は、対局の朝に頭を剃って登場し周囲を驚かせた。その一局は森の快勝となった。

それからしばらくたって、森の将棋は勢いを失っていた。

そんな有様を先崎はどう見ていたか。尊敬してやまぬ森将棋の今のていたらくを情けなく思っていただろう。

そこへ、森と戦う機会がめぐってきた。

森将棋に対する思いは、すでに文章で伝えてある。坊主になったのは「森さん、坊主になった頃を思い出して下さい、そして、あの森魔術を私に見せて下さい」と願ってであった。

その対局で、森は絶妙手によって勝利をおさめる。

 

本の終わりのほうでは、羽生がA級に上がって名人をとる。その前年には、因縁の中原米長の名人戦など見どころがつきない。ほかにも女流棋士、コンピュータ、観る将の話題もあり、今と当時とのギャップが見えておもしろい。

 

 

 

 

 

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