ピーター・ヘスラー『疾走中国』

白水社の〈現代史アーカイヴス〉の7作目で第1期の最後、ピーター・ヘスラー『疾走中国 変わりゆく都市と農村』(訳・栗原泉)を読んだ。

著者はアメリカ人ジャーナリストで、2001年から2009年まで中国に滞在した。農村から都市への人の移動や産業の変化を中心に、現地の人々を取材した記録となっている。

疾走中国:変わりゆく都市と農村 (現代史アーカイヴス)

本書は3部からなり、この構成がとても興味深い。

第1部「長城」では、レンタカーを借りて万里の長城にそってドライブする。長城は遊牧民から守るためにつくられた中国の防壁であり端部である。時代によって付随するイメージも変化してきた。長城の研究史を紹介しながら、農村から都市へ向かう人々の姿をとらえ、中国の管理体制が見えてくる。

 

第2部「村」では、北京から車で3時間ほど北にある三岔(サンチヤ)という村に家を借りる。この村の人口は150人ほどで、車を持っている人はいなかった。車の普及は都市部で進んでおり、そうした変化が周囲にも波及してくるなかで、村のある一家を中心に、生活が変わっていくさまを描く。

 

第3部「工場」では、麗水市エリアの工場を取材する。ひとつの工場が立ち上がり、生産をスタートし、規模を拡大し、やがて移転するまで。経営サイドと労働者サイドの両方からプロセスをみることができる。

 

辺境から取材をスタートして、都市部に向かって動いていく。都市化や工業化の波が農村に押し寄せてくるのとは逆向きである。辺境の人々にまで影響が及んだ様子をいくつもの地点で見るところから始め、彼らの移動の向きにそって動いていく。個々人の動きをとらえることによって、トップダウンではなくボトムアップで中国の変化が見えてくる。

 

取材方法や書き方も変化している。第1部では著者が長距離移動する紀行文のようなスタイルだったのに対し、第2部以降は定点での取材が増え、特定の個人の変化にフォーカスしていく。動き回ることで初めて見える変化と、1か所にとどまっているからこそ見える変化がある。

続きを読む

『昭和ノンフィクション名作選』読書会の記録

昨年の9月から1年間、石戸諭『昭和ノンフィクション名作選』(集英社インターナショナル新書)を手引きに、紹介されている11作を読んでいく読書会を開催しました。その記録を残しておこうと思います。

読んだ本たち

 

開催経緯

きっかけは『昭和ノンフィクション名作選』を読んだことでした。すでに読んでいた「江夏の21球」、『一瞬の夏』はどちらもすばらしく、これらに並ぶものが読めたらどんなにいいだろうと思っていたところ、良いガイドが見つかったのです。

紹介されている作品を読んでいくうえで、読書会をしたいと思った理由はいくつかあります。

私は平成生まれで、これらの作品が描いている時代をリアルタイムには知りません。書籍や映像での断片的な情報があっただけです。そうしたなかで、わからない文脈をおぎなったり、いまとの違いや変わらないところを話したりしながら、読めたらおもしろそうだと思っていました。

また、全体としてそれなりのページ数があるので、読書会の日程を決めることで、ペースを保って読めるのではないかという考えもありました。
 
さらに別の話として、ノンフィクションの読書会っておもしろそうだけど難しいよなぁと、つねづね思っていました。とくに課題本型かつ継続的な開催の難易度が高いなと。

「ノンフィクション」という言葉の指す範囲はとても広いです。よく見るのは、フィクションではないもの全般の意味と、ルポルタージュを指す使い方です。狭義の方に限っても扱う対象はさまざまなので、継続的に参加者の興味が一致することはそうそうないと思うからです。

『昭和ノンフィクション名作選』の作品群は、向田邦子をのぞいて、狭義のノンフィクションとして扱われていると思いますが、それでも事件、事故、スポーツ、政治などテーマはさまざまです。

というわけで、おもしろそうだけど人が集まらないのでは?と思いつつ、ダメもとで募集してみたというのが経緯になります。

 

 

地球から少し離れて〜『オービタル』、『宇宙からの帰還』

サマンサ・ハーヴィー『オービタル』(訳・小澤身和子、早川書房)を読んだ。2024年度のブッカー賞受賞作で、早川書房の海外文学の新しいシリーズ〈ハヤカワ・プラス〉から出たばかり。

地球軌道上にある国際宇宙ステーションは24時間で地球の周りを16周する。そのあいだ太陽と地球と宇宙ステーションの位置関係は変わり続ける。滞在する6名の宇宙飛行士たちは、分刻みで決まっているスケジュールのなかで何を見て、何をして、何を考えるのか。

オービタル: ―ある一日の16回の夜明け― (ハヤカワ・プラス)

彼らが目を覚ます少し前から物語が始まる。書き出しはこう。

地球のまわりを宇宙船で周回しているかれらは、とても近くて、とても孤独なので、時折考えていることや、心に秘めていることすら通じ合うことがある。かれらは時々同じ夢を見る――暗闇に飲み込まれたフラクタル図形や青い球体や見覚えのある面々の夢、そして感覚を容赦なく打ちのめしてくるほどのエネルギーに満ちた、まっ黒に輝く宇宙の夢だ。(p7)

宇宙を舞台にした物語と聞いたとき、まずSFを思い浮かべる。宇宙空間でなにかしらの事件や事故が起きたり、大発見があったりしそう。そんなイメージが強かったのだが、この本にはそうした要素はない。
 
ぐるぐるまわる地球を眺めながら、6人の宇宙飛行士が日々の業務を進めていく。食事をして、トレーニングをして、科学実験をして、地球との通信をする。その様子と彼らの思考が描かれている。

それだけといえばそれだけなのだが、描写が素晴らしく、宇宙に滞在することそのものにすでにドラマがあるということを思い出した。

宇宙に滞在することは、本書の登場人物にとっては日常になりつつある。読者にとっては、宇宙の物語に接することは日常になりつつある。しかし当然ながら、宇宙の体験は日常とまったくかけ離れたものである。そうした環境におかれた人間の内面を描くことで小説になっている。

はじまりの本

興味のおもむくままに本を読んできた。そんなつもりではいるけれど、あらためて振り返ってみると、ターニングポイントとなった本がいくつかある。その1冊を読んだことで、それまでの読書とは違った、新しい方向へと導いてくれた決定的な本がある。

中学生だったころのある日、自転車で家から25分、家まで40分くらいのところにTSUTAYAがオープンした。家の近所には似たような店はなく、TSUTAYAは何かわくわくする場所のように思えた。なにを買おうというわけでもなかったが、友人たちと自転車で坂を下っていった。

TSUTAYAにはスターバックスから流れ込んだコーヒーの香りが充満していた。あたらしくきれいな空間に、本や雑誌、CDやDVDが並ぶ。それだけで楽しい気分になった。

その日にそこで買ったのが、東野圭吾『容疑者Xの献身』の文庫本だった。店に入ってすぐの目立つところに平積みされ、帯には映画化の告知があった。ドラマでガリレオシリーズを知っていたのと、友人の薦めもあって手に取ったのだと思う。

それが初めて買った文庫本だった。

続きを読む

2026年上半期に読んだ本ベスト10

2026年も半分が終わりということで、上半期に読んだ本のなかから良かったものを10冊選びました。読書傾向としては相変わらずノンフィクションが多めです。新書を3冊選ぶのはめずらしいかもしれません。並べて気づきましたが、ほとんどの本がなにかしらの賞をとっていました。

 

 

  •  ノンフィクション
    • 久野愛『感覚史入門』(平凡社新書)
    • 東畑開人『カウンセリングとは何か』(講談社現代新書)
    • 東浩紀『平和と愚かさ』(ゲンロン)
    • 泉秀一『アフリカから来たランナーたち』(文春新書)
    • ベン・ゴールドファーブ『道路をわたる動物たち』(訳・木高恵子、草思社)
    • 沢木耕太郎『天路の旅人』(新潮文庫)
  • フィクション
    • ナオミ・クリッツァー『陽の光が消えた町で』(訳・桐谷知未、早川書房)
    • 楊双子『台湾漫遊鉄道のふたり』(訳・三浦裕子、中央公論新社)
    • 丸谷才一『笹まくら』(新潮文庫)
    • 藤沢周平『蝉しぐれ』(文春文庫)
続きを読む

『プロジェクト・ヘイル・メアリー』とあわせて読みたい本

アンディ・ウィアー『プロジェクト・ヘイル・メアリー』(訳・小野田和子、早川書房)を再読した。最初に読んだのは2022年なので4年ぶりになる。今年に映画が公開されたので、それを機にという人も多いかもしれない。

あらためて読んでもおもしろかった。ある程度の筋は覚えていたので、プロセスをより細かく楽しむことができた。

とはいえネタバレについては、最初はまっさらな状態で読むのがいいという印象は変わっていない。まだ何も知らないのであれば、あらゆる情報を遮断して、原作の本文を読むのがベスト。あらすじも、表紙も、帯も、上巻の最初にある図も見ない方がよい。

一方で、読みながら連想した本が以前とは変わった。この4年のあいだに読んだ本とのつながりが新しく想起された。

というわけで、ここでは『プロジェクト・ヘイル・メアリー』の内容については直接触れずに、思い出した2冊の本の話をしたい。『プロジェクト・ヘイル・メアリー』がまだの場合は、この文章も読まない方がいい。

 

続きを読む