自選記事10(2024秋)

2017年に始めたこのブログですが、少し前に記事が100本をこえました。更新のペースはゆっくりではあるものの、ここまで続いていることに自分でもびっくりしています。書くことによって初めて思いつくことがある、という発見が続いている理由かなと思います。
 
というわけで、振り返りもかねて記事を10本選んでみました。ぼくの文章はともかく、とりあげている本はどれもおもしろいですので。
 

①「読書会」を読む5冊

まずは最近書いたものから。読書会にまつわる5冊の本について。 最初は関連本を網羅しようと気合を入れていましたが、2年ほど下書きに寝かせているうちに、あきらめがついて結局5冊にしぼったのでした。

②『「罪と罰」を読まない』、『読んでいない本について堂々と語る方法』

本を「読まない」というテーマで書いたいもの。①でも書いた『罪と罰』を読まないを取り上げています。この記事を書きながら考えるなかで、読まないことから創造性への回路があるという着地になりました。読んでいない本について堂々と語る方法は、ひとつの極限としてたびたび思い返す読書論です。
 

③コピーの功罪~『パクリ経済』、『誰が音楽をタダにした?』

情報やアイデア、ものを複製する、パクる、コピーすることテーマに、経済学の本と音楽業界のノンフィクションをつなげています。テクノロジーの発展と人々の行動がどのように連動していくのか、というのは大きな関心のひとつです(ということに、この自選記事10を書いていて認識しました)。
 

④『欲望の植物誌』、『視覚化する味覚』

次も同じような関心から書いています。こちらでは主に食をめぐる消費行動が、自然界の進化やテクノロジーと結びついたときに思いもよらないことが起きる、というのがおもしろいところです。文化史といってもいいかもしれません。
 

⑤『数量化革命』、『測りすぎ』

世界を数字でとらえることの歴史と、それを評価基準にしてしまうこと功罪。技術的にはできて客観的で良さそうに見えても、人間のふるまいがからんでくると「測り方」によって本末転倒になるという実践的な学びがありました。これも技術と文化の交点になっています。
 

⑥『子どもは40000回質問する』、『人は2000連休を与えられるとどうなるのか?』

好奇心とはなんだろうという関心で並べた2冊です。特に子どもは40000回質問するには影響を受けました。記事にも書きましたが、拡散的好奇心と知的好奇心の区別は大事だなと思います。手あたりしだいになんでもというモードと、方向性をもって蓄積していくというモード。手あたりしだいのつもりでも、なにかしらの方向をもっていることに後で気づく。そういう効用がブログにはありそうです。
 

沢木耕太郎ノンフィクションⅠ『激しく倒れよ』

⑥からの流れで、もっと大きな方向性をもたせてみようと、まとめ読みしたのが沢木耕太郎ノンフィクション〉全9巻。収録作品について1作ずつ感想らしきものを書いています。沢木作品はここに入っていないものも全部読むつもりで、これ以来ずっと読み続けています。そういう作家に出会えるのはうれしいことです。
 

⑧将棋ノンフィクションを読む――『純粋なるもの』、『透明の棋士

もともと継続的に読んでいきたいと思っていたジャンルとして、将棋について書かれたノンフィクションがありました。これまでに9回書いていて、いまも半年に1回くらいのペースで書いています。この間、将棋界をずっと見ていますが、ずっと激動期という感じでおもしろいです。
 

⑨「時間への敬意」を描くということ――呉明益『自転車泥棒』を読んで

スタイルをがらりと変えて、といってもふつうですが、1冊の小説について書いたもの。出張先での休日のホテルで一気読みして、メモをとりながら再読した記憶があります。この本をきっかけに、作者と台湾の文学への興味が一気にでてきました。
 

⑩「足がつる」がわからない

最後に連想でも読書日記でもないエッセイ的なものもひとつ。タイトルの通りですが、自分のなかにずっと前からひっかかっていたことでした。ここに書いたのは、ある種の哲学的体験だったように思います。

kinob5.hatenablog.com

 

以上、自選記事10でした。

 

 

もともとのきっかけはこのブログ記事でした。読んでから3ヶ月経っていたことにびびっていますが、こういうのは気軽にやりましょう。