ディストピア小説というジャンルがある。ディストピアとは、理想郷やユートピアの真逆の意味だ。
その中でも、ユートピアを本気で目指した結果、ある人にとってはディストピアになるというタイプの系譜がある。あるテクノロジーや価値観が徹底され、それに疑問をもたない幸福な多数派に対して、違和感を覚える少数派が抵抗するという物語になる。
このような設定を、ぼくは勝手に〈白いディストピア〉と呼んでいる。理由は表紙が白いから。こんな風に。
これらの表紙はなぜ白いのか。まず思い浮かぶイメージは白衣。クリーンで余計なものがない。徹底した管理が行き届いていて、無菌状態を思わせる。もう1つは白物家電。これも清潔感を演出している。さらには便利なものが生活にどんどん入り込んでくるというイメージもある。
1932年に発表されたディストピア小説の祖。西暦2540年、世界的な戦争が終結し、共生と安定を目指して世界はつくりかえられた。人間の誕生はすべてコントロールされている。育成装置の中で生まれ、育てられる。育成方法は5つの階級別に分かれている。エリートにはエリート用、労働者には労働者用のプログラムがある。その結果、明確な階級社会になるが不満はない。みんながみんな「自分の階級が一番幸せなんだ」という認識を育成段階で植えつけられる。与えられた場所を好きになるように”条件づけ”をする。人間関係は極めてオープン。気分が優れないときは、ソーマという薬ですぐに立ち直ることができる。
今回挙げた3作のなかで、管理社会として最も隙がない。生まれるときからすべてコントロールして、どんな状況に置かれてもそれを幸福と思うようにするというやり方。条件づけに失敗(?)したバーナードと条件づけされない保護区で生まれたジョンの葛藤で物語は進行する。
伊藤計劃『ハーモニー』
2008年発表。舞台は21世紀後半。この小説も〈大災禍〉と呼ばれる世界的動乱の時期を経て、社会がつくりかえられたという設定。スローガンは生命主義(生命至上主義)。人の命と健康を最重要とする。テクノロジーとしてはWatchMeとメディケアがある。WatchMeは体内に入れるナノマシンで、健康状態を常にモニターしデータを収集している。メディケアは健康状態に応じて必要な薬品を合成し、治療するシステム。大人はみなこのテクノロジーを利用し、病気とは無縁の生活を送っている。また、健康状態を含めた社会的評価点は公開されている。これらの根底には、人の体はその人だけのものではなく、社会のリソースとして公共性をもつという思想がある。そのような価値観に異を唱え、反抗する少女たちの物語。
2013年発表。舞台はグーグルとフェイスブックを合わせたようなIT企業サークル。この企業が掲げるのは、透明性とコミュニティのすばらしさ。すべての人がすべてを知ることができ、みんなで共有することこそ正しいという信念をもっている。実名SNS、ライブストリーミングがすべて保存され、コメントを送り合い、評価がランキングによって数値化されるような世界。すべてをオープンにしていく。秘密は嘘、共有しないと他人の知る権利の侵害というところまで話は進む。このような動きがどんどんとエスカレートしていく。新入社員のメイは憧れのサークルで働き始めるが・・・という物語。
上の2作では、戦争の反動によってディストピアに向かっていくが、この作品は日常からの地続きにある。テクノロジーとしても、現在あるものとそう変わらない。
これらの作品のテクノロジーはそれぞれだが、どれもある種の善意から始まっている点で共通している。価値観についていけない人は、不幸になる権利を求めているように見えてしまう。〈白いディストピア〉は、誰にも悪意がないからこそ厄介で、違和感を言葉にしづらい。
ひるがえって現実はどうだろう。せめて言葉は自由であってほしい。こういう作品がずっと読めますように。