トム・ジャクソン『冷蔵と人間の歴史』

冷凍庫が大きな話題になったら、悪いニュースと考えてほぼ間違いない。何年か前、コンビニの店員が中に入った写真をSNSにあげて炎上したことがあった。今年に入ってからはコロナワクチンの低温保管でトラブルがいくつもあった。スエズ運河の事故で足止めになってしまったLNG運搬船も、ある意味で冷凍庫の一種だ。

なぜ悪いニュースばかりかといえば、冷凍庫がインフラだからだろう。電気、ガス、水道などとともに生活の裏側で重要な役割を果たしている。あって当たり前のものになってしまうと、意識にのぼるのはダメになったときくらいだ。

冷蔵・冷凍をインフラという視点で見てみる。たとえば食品を新鮮に保つために、冷蔵庫は産地と家庭を結んでいる。農場や工場から低温で運ばれてきた食品は、スーパーの冷蔵庫に入って、家庭の冷蔵庫にやってくる。町のどこか、家のどこかが常に冷えているおかげで、いまの生活が成り立っている。

 

こんな暮らしができるようになったのは、歴史上で見るとごく最近のことだ。ものを冷やす技術は、熱する技術とくらべ、ずいぶんと遅くに登場した。トム・ジャクソン『冷蔵と人間の歴史―古代ペルシアの地下水路から、物流革命、エアコン、人体冷凍保存まで』(訳・片岡夏実、築地書館)は、冷却技術の発展がどのように世界を変えたのかを描き出す。

冷蔵と人間の歴史―古代ペルシアの地下水路から、物流革命、エアコン、人体冷凍保存まで

古代の方法として紹介されている例を見てみると、基本的には自然にできた氷を使っている。寒冷地や山頂から氷をもってきて、断熱した空間に保管する。氷室と呼ばれるもので、世界各地にみられる。

変わったところだと、素焼きの壺にものを入れて、外側に水をかけて風にあてるという方法があったらしい。素焼きは多孔質なので水が蒸発しやすく、気化冷却が起こる。この原理が知られる前から、こういう実践はあったようだ。

 

 

冷却の研究史の記述もたっぷりとある。長らくベースとなっていた考え方は、古代ギリシア以来の四元素。火・土・水・空気からものができているという考えからは、冷たさの概念をとらえるのは難しかったことがよくわかる。

元素の考えからいくと、冷たさの元となる物質があると考えられていた。エネルギーが低い状態にあるという認識にいたるには、いくつかのステップを必要とした。ロバート・ボイルなど教科書に名を残す科学者たちが次々と登場し、少しずつ知識を積み重ねていくが道のりは険しい。そのなかでも、真空の発見、圧力の制御は大きな一歩となった。

一八五二年に発見されたジュール=トムソン膨張は、われわれの冷蔵庫を後ろから支える効果だ。科学と技術は低温を作る方法を見つけだした。しかし関心を持つ人間はほとんどいなかった。研究者がエネルギーの秘密を解き明かすのに忙しい一方、実業家たちは何百万トンという氷を、冬の国から常夏の熱帯に運んで富を得るのに忙しかった。凍った水は世界商品となっていたのだ。(p.133)

 

海運が発達してくると、氷を輸出するビジネスがでてきた。アメリカの川や池から氷を切り出して、需要のあるところへと運んで売る。かなり遠くへの貿易もしていたようで、アメリカからインドまで運んでいたのには驚いた。

いまならインドに行くより氷をつくるほうが簡単だ。この技術発展のアンバランスさが興味深い。なぜわざわざそんなことを、と思うのは現在特有の視点だ。同じように、未来からみたら今は不思議に見えるかもしれない。ある時期だけにありえた営みが見えるのは、文化史・技術史を読む楽しみのひとつだ。

そこには欲望と技術が奇妙なかたちで組み合っている。そこまでしてでも昔の人も冷たいものを飲みたかったんだなぁと。遠くから運ばれた氷は高値になるが、それでも売れた。とはいえ、衛生面での問題はかなりあったようで、しだいに人工氷に置きかわっていった。

冷蔵庫は物流を大きく変化させた。新鮮な食材を遠くまで届けることができるようになった。いわゆるコールドチェーンが世界をつないだ。スーパーマーケットという形態も冷蔵庫以降のものだ。スーパーそのものが大きな冷蔵庫といえる。

 

 

冷蔵庫の基本的なしくみができてからは、どれだけ安全で効率的な動作をできるかという競争が始まる。重要なポイントは、どんな冷媒で熱交換をしていくか。フロンはその特性に優れることから広く使われたが、オゾン層破壊で問題となり禁止となった。ここで冷蔵庫はいよいよグローバルな環境問題にもつながる。最近のところでいえば、寒冷地につくられるデータセンターとかも気になる。

 

 

冷却は最先端の技術に常に使われている。温度制御は物理の基礎中の基礎なので、どんなことにも関係してくる。MRI、ロケット燃料、超伝導量子コンピュータなどに欠かせない。これらもやがて静かにインフラになっていくだろう。たまには思い出したい。