読み終わって、すぐにもう一度読みたくなる小説がまれにある。そう思うのは、すごく良かったなという感触がある一方で、あれはなんだったのだろうと自分のなかにひっかかるものがあるときだ。
松家仁之『火山のふもとで』の読書体験はまさにそんな感じだった。
「ぼく」は建築家・村井俊輔の設計事務所ではたらきはじめる。東京にあるその事務所は、夏のあいだだけ浅間山のふもとにある「夏の家」に拠点をうつす。入所の一年目、なにもかも初めての環境で、先生や先輩に教わりながら、図書館のコンペにむけて準備をすすめていく。
建築のプランを練っていくプロセスのなかで、それぞれの人物のこだわりや感性がみえてくる。土地の背景を調べる。過去の建築を研究する。利用者や生活者の視点にたって、暮らしの細部を丁寧にひろいあげる。そうした議論を交わす事務所のメンバーはみな魅力的だった。
大げさな表現はなく、身の回りの様子を静かにとらえていく。建築、家具、道具、自然、人物、どれをとっても描写が素晴らしい。とりわけ音の描き方が印象的で、文章を目で追いながら、耳を澄ますような気持ちで読んでいた。
気になっていたことが端的に書かれているのは、文庫版p237のこの場面。
帰りのクルマで、うしろの席から先生が話しかけてきた。
「家を守るというのは難しいんだ。設計をするとき、火事になりにくい家、地震で崩れ落ちない家をできるかぎり心がける。それは建築家の大事な仕事だ。でもかりにだよ、東京全体が焼け野原になるような大震災があったとして、自分の家だけが燃えず崩れずでいいのか。これはね、考えておいていい問題だよ」
先生の言わんとするところは、わかるようでよくわからなかった。黙っているぼくに先生はつづけた。
「焼け野原に、ぽつんと自分の家だけが残った光景というのを想像してごらん。まわりの人がたくさん亡くなっている。こちらは人命はもちろん、家財道具も全部無事。これはね、耐えがたい光景だ。そんな事態に人はもちこたえられるだろうか。最後は運を天にまかせ、偶然の助けがあったと思えるから、なんとか耐えていけるんじゃないか。
防災をあまりに徹底した家というのは、これは要塞であって、住宅ではない。居心地がいいかどうか、はなはだ怪しい。要塞に住むなんて、つねに災厄を考えながら暮らすようなものだからね」
ぼくのなかには納得しきれないものが残った。でもどう言葉にしていいかわからず、黙っていた。
あまり考えたことのない問題だった。「ぼく」も消化しきれていない。ここで先生はなにを言おうとしたのだろう。
もし大震災がきたらと考えるとき、まず気にするのは家が崩れる場合だろう。災害への備えが足りなかったせいで大切ななにかを失い、後悔するのではないか。ならば、対策を充実させようと考えるが、コストが増えるし、どこまでいっても対策は完璧にならないので、ほどほどのところで妥協することになる。
この前提は先生の言葉の3文目までで終わっていて、そのあとに提示された問題は別の方向をむいている。もし防災を徹底した自分の家だけが残ったらどうか。
ここでは耐えがたいのは偶然ではなく、必然だと考えられている。どういうことだろう。
偶然の耐えがたさはイメージしやすい。たまたま悪いことが起きる。なぜ自分がこんな目にあわなくてはいけないのかと考えてみても、偶然としかいいようがない場面がある。
しかし一方で、偶然を受け入れることができれば、未来に目が向けられるということもあるのだと思う。
徹底的に偶然やリスクを排除していくと、必然の耐えがたさに直面してしまう。それはリスクを完全に排除できないからではない。仮に排除できたとしても、しないほうが良いのではないかと問われている。ただし、それなりにリスクのコントロールするのも大事だと先に言っている。
なんだかむずかしい。手立てをしないというわけではない。むしろ丁寧になされるが、しかるべきタイミングで、なるようになる。手を放す。そうした偶然に対する感覚が気になっているものだった。諦めや妥協とも違うなにか。
この感覚は、良い暮らしとはどういうものかという思想につながっている。もちろん先生の考えが正しいと思う必要はないが、これは「考えておいていい問題」だと感じた。
別の場面も思い当たる。先生の旧知、藤本衣子の家のバルコニーにスズメバチの巣ができた。駆除を提案する「ぼく」に対し、先生は急がない。「日常的に危険でなければ、寒くなるのを待ってから、空き家になった巣をとるほうが無理がない」という。時代背景の影響もあるかもしれないが、ちょっと驚いた。「無理がない」という表現は、いかにも先生らしくて興味深い。
他にもいくつか気になることがあった。先生はなぜコンペを引き受けたのか。なぜ「ぼく」を採用したのか。なぜ結婚について何も言わないのか。なぜ病院の場所を伝えておかないのか。
思い通りにしようとすることと偶然にゆだねること、火山のふもとで生きること。偶然が積み重なった時間への敬意を感じた。
