山際淳司『スポーツ・ノンフィクション傑作集成』②

じっくり読み進めている山際淳司『スポーツ・ノンフィクション傑作集成』の感想続き。今回は野球、ボート、バレーボール、スカッシュの短編4作。毎度のことながら、スポーツの動きを文章によって伝えるというのはすごいなと思う。

山際淳司スポーツ・ノンフィクション傑作集成

 

〈ゲンさん〉の甲子園

県立高校で野球部の監督をつとめてきた、体育教師の奥村源太郎。彼はいくつかの学校に赴任し、これまでに3回、新しく野球部を立ち上げた。野球を第一に考えて県立校を目指す生徒は少ないため、たまたま入ってきた生徒とチームをつくっていくことになる。それでも設立から3年で甲子園の準決勝まで進出したこともある。 

彼の指導は実戦的であり、上達のしかたにこだわりが感じられる。試合を想定した守備練習を重視し、攻撃面ではバントを多用する。上達しやすく、試合に使えるところから鍛える。小技をつかって、相手の守備にプレッシャーをかけることでミスを誘発するという面もある。

いまでもこういう言い方があるのかわからないが、こうした新生のチームを「さわやかな野球」という紋切り型でメディアは書いていたという。しかし、その一言でまとめずにもっとよく見てみよう、という論でもある。

文面だけで見ていても、こんなチームが相手だったら嫌だな、と思う。熟練の監督が新生チームで小技を駆使してくるというのは、学会発表のときに重鎮が「素人質問で恐縮ですが」と前置きをして痛いところをついてくるのと同じプレッシャーがある。嫌だなと思っている時点で、もうペースを握られている。こんなチームづくりを再現よくできるのだとしたら、指導者としてなにかをつかんでいるというほかない。

 

たった一人のオリンピック

ある日、彼は突然、思いついてしまう。オリンピックに出よう、と。その思いつきに、彼は酔った。「もし、それが実現すれば」と彼は思った。「なんとなく沈んだ気分が変わるんじゃないか。ダメになっていく自分を救えるんじゃないか」

そこで彼は、自分の時間を一度、せき止めてしまった。遠大なビジョンに向かって非日常的な時間を生きてしまう。

すべてはそこから始まったわけだった。

津田真男は23歳のとき、突然の思いつきでオリンピックを目指しはじめる。オリンピック選手になるという目的のために、ボートのシングルスカルという競技を選んだ。ボートや練習場のための金銭を工面し、ボート界の伝統的な練習方法を見直した。しだいに大会で頭角をあらわし、5年後にはオリンピックの代表選手に選ばれる。しかし、日本は1980年のモスクワ五輪への不参加を決める...。

そんなことがありうるだろうか。政治に振り回されてしまうスポーツという問題がひとつ。そしてそれ以上に気になるのは、突然の思いつきにここまで酔うことができるだろうか、ということだった。

しかし同時に、誰にでもそういう部分があるのかもしれないとも思う。このストーリーはフラットに書かれていて、悲劇的な印象はいくらか軽減されている。冒頭で結末が明かされることからもわかるように、重要なのはすべてを賭けた5年の方だ。

たしかにオリンピックは極端な例かもしれないが、自分の人生を生きるということは「たった一人のオリンピック」を続けることと言えなくもない。もちろんチームを組むのもいいのだけれど。

 

「すまん!」

バレーボール選手・猫田勝敏は39歳でこの世を去った。日本代表のセッターとして17年活躍し、オリンピックには4回出場した。1964年東京で銅、1968年メキシコで銀、1972年ミュンヘンで金、1976年モントリオールで4位。男子バレーの黄金時代を築き上げた。しかし彼は引退後、コーチとしてチームに残ることはなく、周囲もそれを求めなかった。

猫田のバレーボールを三つの言葉で説明することができる。

「すまん」

「頼む」

「ありがとう」

この言葉を彼は試合中に何度、口にしたことだろうか。

猫田がトスを上げる。

アタッカーがスパイクを打つ。

タイミングよく、決まればいい。しかし、それはやさしいことではない。アタッカーがジャンプして腕を振りあげたところにトスがいかなければならない。アタッカーは、トスの上がる位置を想定してジャンプしなければならない。そのタイミングがわずかでもずれれば、パワフルなスパイクは生まれない。明らかなトス・ミスもある。が、猫田のトスは絶妙といっていいほど的確な位置に上がる。それでもアタッカーのちょっとしたタイミングのずれで、うまくいかない。そういうとき、猫田はまっさきにいうのだ。

「すまん!」

猫田はトスの精度をみがき、アタッカーのミスも自分のミスとしてとらえた。裏方の職人としてセッターの道を究めようとした。彼の緻密さによって生まれた多彩な攻撃パターンはひとつの時代をつくったが、その考えについてくる人はもういなかった。他国の高さとパワーがそれを上回るようになってきていた。

バレーボールはテレビで見たことがあるが、ノンフィクションとして読むのは初めて。それもセッターの話ということで新鮮だった。印象的なタイトルがその精神をよく表している。

黄金時代という言葉に、栄光の日々よりも衰退のニュアンスを強く感じ取るようになったのはいつからだろう。ふだん地上波で見ることができるのは、トッププレイヤーの全盛期だけだ。しかしそれがスポーツのすべてではない。それ以外の部分に場所をつくるのが、あるいはノンフィクションなのかもしれないと思った。

 

ジムナジウムのスーパーマン

日本におけるスカッシュの第一人者、坂本聖二のある1日と半生を描く。その日は全日本選手権の試合があった。朝起きてから試合に向かい、帰ってくるまでの時間に密着しながら、過去のエピソードが差しはさまれる。書き方のスタイルに沢木耕太郎「儀式」を思い出す。

スカッシュについては、何度か情報にふれたことがあるという程度。ドラマのなかの湯川学と、イアン・マキューアンの小説『土曜日』だけ。どちらも理系エリートが余暇にリフレッシュするというイメージだった。

坂本は日本の公式戦で無敗の135連勝を続けている。他方で、自動車の販売会社ではたらくサラリーマンでもある。そのなかで毎日のようにコートに立ち、試合の日には仕事を調整し、スポーツの世界でトップを走っている。ストイックという言葉が似あう。

恐らく、彼の心の中には、誰もがそうであるように仕事だけでは埋められない空洞があるのだ。彼の場合、その空洞はスカッシュのボールの形をしている。一か月にクルマを十台売った。なかなかの成績だ。二十台売った。驚異的な数字だ。しかし、だからといってどうしたというのだろう。空洞は埋まらない。

高校、大学とバドミントンで全国レベルの活躍をした。しかし膝を痛めてから競技から離れ、社会人になってからスカッシュをはじめ、実績をつんできた。彼にとってのスカッシュは頑張って続けたいものというよりも、なくてはならないものという切実さを感じた。心の空洞を埋めるもの、それさえあれば、とでもいうように。

 

 

 

〇文庫・新書情報

「〈ゲンさん〉の甲子園」

 

「たった一人のオリンピック」「すまん!」

 

「ジムナジウムのスーパーマン

 

 

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