創作の裏側~『数学者たちの楽園』、『エラリー・クイーン 創作の秘密』

サイモン・シン数学者たちの楽園 ――「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち』(訳/青木薫新潮文庫)を読んだ。『フェルマーの最終定理』などで有名なサイエンスライターが、アメリカのアニメ「ザ・シンプソンズ」に隠れた数学をおもしろく解説する本。

 

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アニメを見たことがなくても、その制作の裏側をみることができるのは楽しい。脚本家チームには、数学、コンピュータサイエンス、物理学と理系のバックグラウンドをもつ人がそろっていて、隙あらば脚本に数学ネタをしこんでいく精神が見どころ。

 

数学ネタの解説もおもしろいが、一番印象的だったのは、第四章「数学的ユーモアのなぞ」で書かれている、脚本と数学の関係。

バーンズは、『ザ・シンプソンズ』に加わるようになった経緯を語ったのち、数学クイズとジョークの共通点について考えを聞かせてくれた。どちらも注意深く作り上げられて、意外などんでん返しがあり、事実上のオチがある。優れたクイズとジョークは人を考えさせ、答えがわかった瞬間に、人を微笑ませるというのだ。おそらくそんな共通点が、『ザ・シンプソンズ』の脚本家チームに数学者が加わることをこれほど意義あるものにしているのだろう。(p.107)

人を考えさせる時間をつくる、それが楽しませることにつながる、というこの一節にハッとした。こうした視聴者との信頼関係はすばらしいものだ。考えさせる=むずかしい=つまらないの回路とは真逆。

 

ある脚本家は、また別の切り口で語る。

「わたしはコンピュータ科学の理論的な研究をやっていたんだが、仲間たちとわいわいやりながら、たくさんの定理を証明したものだった。ここに来てみて驚いたのは、脚本家チームのミーティングルームで、それとまったく同じことが行われていることだった。大きなテーブルを囲んで、みんなでいろいろなアイディアをキャッチボールする。そこにはクリエイティブな仕事に共通する要素がある――つまり、問題を解こうとしているんだ。数学研究における問題は、定理であり、脚本作りにおける問題は、ストーリーを組み立てることだ。われわれはストーリーをバラバラにして分析したいんだ。このストーリーは、要するに何なんだ?ってね」(p.108)

今度は、ストーリーづくりと定理の証明を重ねている。チームでやるクリエイティブな仕事という観点。別の脚本家も同じような類似から、直感の重要性を語っている。

 

これが比喩にとどまらないのがすごいところで、同じクルーでつくったアニメでストーリー上の問題を解決するために、新しい定理(フューチュラマの定理)を作り上げたという。脚本の本読みで、ホワイトボードに証明を書いてる写真が載っていて、おもわず吹き出してしまった。

 

もうひとつ。アニメと数学の関係について。

「実写ドラマは実験科学に似ている。役者たちは、それぞれの考えに沿って演技する。そうやって撮影されたシーンをつなげて、どうにか作品にするしかないんだ。一方、アニメは純粋数学に似ている。あるセリフにどんなニュアンスを含めるか、セリフ回しをどうするかまで、徹底的にコントロールできる。あらゆることがコントロール可能だ。アニメは数学者の宇宙なんだ。」(p.113)

こうしてみると、理系チームの脚本とアニメの相性がすごく合っている感じがしてきた。最近の日本だと『ゴジラS.P』とかかな。こういうのをもっと見たい。

 

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創作裏話ものでいえば、エラリー・クイーンの本も読んだ。ジョゼフ・グッドリッチ編『エラリー・クイーン 創作の秘密: 往復書簡1947-1950年』(訳/飯城勇三国書刊行会)。

 

エラリー・クイーン 創作の秘密: 往復書簡1947-1950年


エラリー・クイーンアメリカのミステリ作家で、『Yの悲劇』など数多くの作品を残している。また、従兄弟の二人組で合作をしていることでも知られる。

 

プロット担当のフレデリック・ダネイ、執筆担当のマンフレッド・B・リーというように分業して作品を完成させる。その過程でどのようなやりとりがあったのか。往復書簡をもとに、編者の解説つきでたどっていく。

 

1947年から1950年は、クイーンが作風を変えた時期にあたる。初期の論理性が高いミステリから、キャラクターの魅力や探偵の限界を描くようなほうへ。最近新訳が出たので読んだりした。

 

そのような転換点だからなのか、2人の性格なのか、往復書簡の内容はなかなか激しい。意見がぶつかることも多く、こんなにも議論を積み上げたうえで作品を書いていたのかと驚いた。

 

彼らの不一致は厳しいものであり、お互いの心に深刻な影響を与えた。これらの書簡は傷つけ、えぐり、激しく非難し、説教し、そしてののしっている。ふさわしい題名、プロットの論点から、世界情勢まで、なんであれ、そのすべてが個人的な当てつけとして受け止められ、激しい討論の題材を提供した。(p.27)

 

自然と手紙は長くなり、ヒートアップしていく。途中までは、家族の近況で締めることでマイルドな雰囲気をまとっていたが、それもなくなったときに、いよいよ対立がきつくなってくる。

 

そして、議論が激しくなっていったまま、手紙が終わってしまう。これはもう修復できないんじゃないかと不安になるが、作品が完成したことは知っているし、その先もまだ合作が続いたことも知っている。どうやって完成したのかはむしろわからない。

 

ここまでの対立をしたとしても、2人で書かざるを得なかったということだろう。そのおかげで作品の質は上がったはずで、読者としては大変ありがたい。

 

贅沢をいえば、2人で折り合いをつけたところのやりとりも見てみたかった。本にするにあたって省略したのかもしれないし、もしかすると手紙での協調は難しくて、電話だったり、対面で話したのかもなと想像する。

 

急にリモートワーク大変みたいな話になってしまったが、この2人は会ったとしても激しくなりそうな気がする。どうやってこの関係が続いたのか、ますますわからない...。