沢木耕太郎ノンフィクションⅠ『激しく倒れよ』

文藝春秋80周年記念で編まれた沢木耕太郎の作品集がある、ということを知ったのは去年の秋だった。もう20年前の企画ではあるけれど、今年はこれを読んでいきたい。というのも、去年いくつかの本を読んで、文章の魅力にやられてしまい、これはどんなものを対象にしていてもおもしろいだろうという予感がしたから。

 

全部で9冊の作品集。どこから読んでもいいはずだが、とりあえず順番にいってみよう。『激しく倒れよ』と題された第Ⅰ巻には、スポーツにまつわる12の短編が集められている。せっかくなので、ひとつひとつ読みながらメモを残してみる。ついでに初出と文庫化情報も集めてみた。

 

沢木耕太郎ノンフィクションI 激しく倒れよ

 

「儀式」

初出:「調査情報」1972年1月号

ジャンボ尾崎こと尾崎将司、当時24才。1971年の日米対抗プロゴルフ大会に出場した。ラウンド最終日の優勝争いの様子を主軸としつつ、挿話として尾崎の半生が描かれる。尾崎はもともと高校球児で、四番ピッチャーでセンバツ優勝を経験している。将来を期待されながらプロに入るが、成績がふるわない。自ら引退を決意し、ゴルフ界へ「転職」する。「巨人の星」などを補助線に、野球以後の人生への再起という文脈もおりこむ。

18ホールをめぐりながら、半生をカットバックでたたみこませる構成が見事。本人へのインタビューは最小限で、周辺人物への取材から尾崎の生き様を浮かび上がらせる。タイトルの「儀式」という見立ては、ラストで明らかになる。30ページ強の分量ながら、映画を1本みたような満足感にひたった。これを書いたとき著者は23才だったらしいが、あまりの完成度でとても信じられない。あとこれを依頼して編集した「調査情報」という雑誌はいったいなんなんだ...。

 

 

イシノヒカル、おまえは走った!」

初出:「調査情報」1972年8月号

1972年7月9日、第39回日本ダービーの出走シーンから始まる。著者が取材したのは競走馬イシノヒカル。7月1日から厩舎に泊まり込み、ダービー当日までを描く。朝3時に起きて、世話をする馬手、調教師、騎手、馬主、取材陣などとともに過ごすなかで、せまってくるレースに盛り上がるメディアの様子や当事者たちの緊張感が伝わってくる。

カウントダウンのように、1日1章で進む日記風の構成であるが、リアルタイムで目にしたもの以上のことが書かれている。騎手や厩舎の過去のことであったり、馬の血統のことであったり。リアルタイムの動きとそれまでの過程からダービーに向かうそれぞれの思いがみえてくる。その密度とは対照的なほど、レース本番の記述はあっさりしていた。描きたいのはレースの結果ではなく、イシノヒカルという馬を中心とした多くの人と馬の物語が交差する瞬間なのかなと思った。

 

 

「三人の三塁手

初出:「調査情報」1975年5月号

「ダイヤモンドに彼はいなかった。」という書き出しではじまる。長島茂雄が選手を引退し、監督になった1年目のこと。作品外のノートには、長島茂雄を「書かないで、書く」という方法を考えたとある。メインの登場人物は、難波昭二郎と土屋正孝。どちらも長島と同学年の三塁手で、巨人に入団した。高卒で先にプロ入りした土屋だったが、大卒で入った長島にレギュラーを奪われる。難波は長島と同期入団で、レギュラーになれなかった。長島を光とするなら、影の部分を描いている。

難波が長島とはじめて会ったのは、大学選手権の試合だった。攻守交替の場面がとりわけ印象的。

難波にとって悲劇的だったのは、この感動的なゲームの中で、絶望的なひとつの事実に気がつかなければならなかったということだ。

彼が三塁の守備についたときのことである。どこを探しても長島の足跡がない。守備をする者がつけるはずの踏み荒らした跡がない。ふと気がついて、はるか後方を見やると、そこに長島の足跡があったのだ。何という守備の深さ、広さか。及ばない、彼はそう思ったにちがいない。

ぼくも三塁手だったことがあるので、このイメージは強烈にささる。だれもが強打にそなえて深く守りたい。だが動きや肩に自信がない分だけ、バントや凡打への対応で前に構えなくてはいけない。深く守れることは実力のあらわれだ。足跡が見つからないという描写で、2人の立ち位置とその先が暗示されてしまう。しかし、野球をやめても人生は続く。残酷にも。幸福にも。

 

 

「さらば 宝石」

初出:「オール讀物」1976年3月号

Eという元プロ野球選手の「無惨」な噂を聞いて取材をはじめる。彼はかつて打者としてトップの選手だった。首位打者、二千本安打、リーグ優勝。通算成績は同じ背番号3をつけた長島にも比肩するが、長島ほどの人気はなかった。そのEが引退後球界を離れてからもまだトレーニングを続けている。それはなぜか。自宅の父へのインタビューの様子と、バッティングの道を究めようとしたEの野球人生を描く。

気になるのは、選手の名前が最終行まで伏せられていること。書かれた当時はだれもがピンとくるのか、それとも最後で思い出すのか。そのへんの事情はわからない。名前だけ聞いたことがあっただけなので、ラストでもピンとこない。それでもこの仕掛けには効果があったと思う。Eは不思議な行動をしている人として、文面に現れる。文章を読み進め、野球人生をたどり、最後に名前を見たときに、タイトルの意味とともになにかが像を結ぶ。明確に答えというわけではないが、もうまったくわからない人ではないというような。

 

 

「長距離ランナーの遺言」

初出:「展望」1976年4月号

自衛官で陸上選手として活躍した円谷幸吉。1964年の東京オリンピック、男子マラソンで銅メダルを獲得する。1968年、27才で自死する。残された遺書を読んだ著者は、「長距離ランナーの孤独」ではおさまらない何かを感じとり、取材をはじめる。

長距離ランナーは、果たして「走れなくなった」からといって死ぬことができるのか?


この問いが常に意識されてはいるが、ここまでの作品とは異なり、わりとストレートな評伝になっているという印象。取材時点で亡くなった人について書いているという点も違う。が、対象への迫り方は変わらず。周辺人物への取材から円谷の生き方を浮かび上がらせる。決まり事や形を大切にする「規矩の人」、決まっていた結婚の破談...。どんな思いで生きていたかはわからない。それでも残された人は「思い」から逃れられない。

 

 

「ドランカー〈酔いどれ〉」

初出:「オール讀物」1976年5月号

WBA世界ジュニアミドル級タイトルマッチ、チャンピオンの柳済斗に輪島功一が挑む。輪島にとってはベルトを奪還するためのリターンマッチ。だが輪島はすでに32才で、関係者の中では、柳が有利とささやかれる。著者は輪島のジムに通い、試合までの日々を追いかける。そして試合当日。一緒に観戦しようと思って呼んだカシアス内藤を待ちながら、試合は進んでいく。

ここまでゴルフ、競馬、野球、野球、陸上ときて、今回はボクシング。試合開始、試合までの日々、試合という構成は「イシノヒカル」に似て、引き込まれるものがある。息をひそめるようにトレーニングを続けてきた輪島が、試合で踏み込んでいくところに迫力がある。カシアス内藤を待っている文脈はいまひとつ拾えなかった。ボクシングに詳しい人が読めばまた違うのかもしれない。

 

 

「ジム」

初出:「日本版PLAYBOY」1977年7,8月号

世界フライ級チャンピオンのボクサー大場政夫は交通事故で死亡した。首都高のカーブを曲がり切れず、対向車線のトラックに突っ込んだ。「そんなことはありえない」。ジム入門時から成長を見てきたマネージャー「わたし」の視点から、「あの子」=大場のボクシング人生を回想する。チャンピオンのいなかった名門ジムの期待を背負いながら、大場は順調に力をつけ、チャンピオンの座を手にする。それはボクシングのみに集中することを意味し、ほかは引退したあとの楽しみだった。しかし、その第二の人生はなかった。

文中に「わたし」がでてきて戸惑った。沢木ではないことはすぐにわかるのだけど、なんの説明もなしにくると違和感がある。しかも作品の大部分を占める。大場を見続けてきた「わたし」の証言は間違いなく重要なのだが、これまでの作品では一人の言葉に頼らず、複数のソースを組み合わせていただけにかなり目立つ。もちろん著者の狙い通りだろう。最後の節で、視点が切り替わり「あの子」は「大場」になる。ネタバレになるので伏せるが、大場の父親の証言は別の見方を与え、著者はそこに「復讐」を読み取る。ノンフィクションでこれをやるのは驚いた。

 

 

「コホーネス〈胆っ玉〉」

初出:「日本版PLAYBOY」1978年2月号

本書では再びのボクサー輪島功一。「ドランカー〈酔いどれ〉」後から引退までを追いかける。柳済斗戦の勝利からすぐに負けてタイトルを失い、そしてまた挑戦者としてタイトルマッチに挑む。著者は、あのタイトルマッチに勝ったころが引き際だったのではと思うなか、輪島は闘いをやめない。なぜ輪島はもう一度闘おうとするのか。深いところで理解できたと思っていたボクサーのことがわからない。最後まで見届けることを決める。

 

「俺はやめないよ。チャンピオンのまま引退するというのは確かに格好よく映る。でも、ほんとはちっとも格好よくないのさ。」

輪島は、格好を気にするのは臆病だ、という。それは負けることを恐れている者の考えだから。どこまでも墜ちていく覚悟がある。最後のリングとなったタイトルマッチには、いいところがなかった。それでもこの文章が読ませるのは、闘い続ける者の狂気とでもいうべきものにせまっているから。奥さんに反対されても、体が思うように動かなくても、減量がきつくてもやる。

 

 

「王であれ、道化であれ」

初出:「日本版PLAYBOY」1979年7月号

「私」とヒロは人を探していた。かつてモハメッド・アリと王座をかけてしのぎを削ったジョー・フレイジャー。たまたま拾ったチラシを手掛かりに、2人はニューオリンズに集まる。その町では、翌日に控えたビッグマッチのムードがただよう。世界ヘヴィー級タイトルマッチ、レオン・スピンクス vs モハメッド・アリ戦の前夜。一方、同じ町にいるジョーは、場末のクラブに出演して歌を歌っている。2人はジョーのもとへ向かう。

まず冒頭、ニューオリンズの町がいい。ここまでの作品とは違って風景の描写が多めで、まるで紀行文のよう。『深夜特急』みたいな気持ちで読み始める。しかし読み進めると、やはりこの作品集に共通するものを感じ取れる。かつて頂点を極めた者のその後、変わり果てた姿。盛り上がる町とのコントラストで、一段と深い影を落としている。

 

 

ガリヴァー漂流」

初出:「Number」1980年5月5日号

名前も明かされないまま「わたし」の回想がはじまる。相撲部屋への入門のこと、稽古の日々のこと、幕下での活躍のこと。ふとしたきっかけで相撲の世界を飛び出し、スポーツの世界を転々とする。プロ野球の入団テスト、学校の相撲部コーチ、ボクシングの日本ミドル級チャンピオン、ボウリングのインストラクター、プロセスのレフェリーなどなど。

まさに漂流という感じで、いろんなことに手を出している。どこにも居続けられなかったのかもしれないが、どこにでも行ける自由さと思い切りのよさも感じる。書き方の面では、ほぼ全編を取材対象の一人称で通している。同じような手法でラストが斬新な「ジム」を読んだ後なので、少し物足りなく感じてしまった。語彙的にも、本人視点ゆえに絞られている印象がある。

 

 

「普通の一日」

初出:「Number」1989年7月20日

天気の変わりやすい、ある春の日。現役を引退し、ヱスビー食品陸上部の監督となった瀬古利彦の1日に密着する。朝の伴走、医大での運動生理学の受講、午後の練習、部室での夕食。ところどころで現役時代のエピソードがはさまれる。体調管理やメディア対応に苦労の多い選手生活だったが、何度も復活し、結果を残してきた。

「まずはじめに『方法』があった」という。ひとりの人物の1日を朝から晩まで描くことで、その人物を描く。陸上部の監督がどんなことをしているのかを知れるので単純におもしろい。そこにさらに瀬古利彦のマラソン人生が重ねられる。自分はこの方法に弱いかも。ほかの1日でもありえたところを、あえてこの天気のうつろう1日にした意味を考えたい。「長距離ランナーの遺書」とのつながりも大いにある。

 

 

「砂漠の十字架」

初出:「Number PLUS」1999年4月号

「私はぎりぎりまで迷っていた」という書き出しから始まる。時は1980年。ラスベガスで開催される、モハメッド・アリの最後の試合になるであろうタイトルマッチを見に行くべきか。そうこうしているうちに、3万人のチケットがなくなってしまうが、ある人から譲り受け、現地でその試合を見届ける。

読んでいて印象的なのは、ボクシングそのものよりも周辺の人たちだった。45年間ヘヴィー級の試合をすべて見ているという老人、客席にいる元チャンピオン、1ラウンドだけ見て引きあげる隣の席のカメラマン。多くの注目を集めた一戦で、アリは奇蹟を起こさなかった。ラスト、席を譲ってくれた人のために観戦記を書く。その相手に一番びっくりしてしまった。

 

 

 

 

 

・文庫収録作(見つけた分だけ)

イシノヒカル、おまえは走った!」、「三人の三塁手」、「さらば 宝石」、「長距離ランナーの遺言」、「ドランカー〈酔いどれ〉」

 

「ジム」、「コホーネス〈胆っ玉〉」、「普通の一日」、「王であれ、道化であれ」、「ガリヴァー漂流」