将棋ノンフィクションを読む07――『棋士とAIはどう戦ってきたか』、『うつ病九段』

藤井聡太竜王がタイトル6冠へ挑戦している。プロ入りが2016年10月で、プロデビュー直後の連勝からこの6年間、話題になり続けている。ちょうど藤井聡太がデビューしたころの将棋界について、藤井ブームとは別の視点で書いている2冊を読んだ。


まずは、松本博文棋士とAIはどう戦ってきたか~人間vs.人工知能の激闘の歴史』(洋泉社)。タイトル通りの本で、将棋というゲームのはじまりから2017年の佐藤天彦叡王 vs ponanza戦まで、棋士とソフトの戦いの歴史がまとまっている。棋士とソフト開発者、両サイドの視点をバランスよく書いている印象。

 

棋士とAIはどう戦ってきたか~人間vs.人工知能の激闘の歴史 (新書y)

海外ではチェスソフトの開発は「知の試金石」という位置づけがなされ、将棋ソフトより先行するかたちで研究されていた。1970年代には、日本でも将棋ソフトの開発がはじまる。当然ながら最初は弱くて、プロに勝つのはまだまだ先と考えられていた。こうした状況は1990年代までつづく。

2000年代に実力差が縮まってきた。まだプロが強いという雰囲気のなか行われた、2007年の渡辺明竜王 vs Bonanzaはひとつ重要なイベントになった。トップ棋士とソフトの対決は、辛くも渡辺竜王が勝利する。まだ棋士の方が強いが、ソフトもかなり強いということが明らかになった。

この時点で、ソフトはいずれトップ棋士に勝つことは予想できたかもしれない。将棋連盟はそのあたりを視野にいれたロードマップを示せたのでは、と書かれている。いまだから言えることかもしれないが、そうしていれば防げたトラブルもあったと思う。将棋界の外でも同じようなことは起こり得る。

 

 

その後もいくつかの対局があり、ソフトの強さは認められるようになった。だがトッププロと戦ってどうなのかは、はっきりしないままだった。大きく注目を集めたのが、5対5の団体戦になった第2回以降の電王戦。若手強豪からトップ棋士まで参加していて、自分が将棋を見始めるきっかけにもなった。

電王戦では、対ソフト用の指し方をするプロが増えた。ソフトの強さを認めたという証拠でもあるが、勝敗だけみると白黒がはっきりついたとも言えない。2013, 2014年は棋士が負け越したが、最後の団体戦となった2015年は勝ち越している。

このあいまいな状況のなかで、レギュレーションや棋士の指し方についての論争も起きた。ソフトの事前貸出とその後の修正禁止、コンピュータのスペック制限、「はめ手」の是非など。読みながら、当時は見えていなかった事情を見直すことができた。

おそらくこういうことだったのではないか。主催したドワンゴと視聴者では、前提が違っていた。ドワンゴとしては、すでにソフトの方が強いという前提で、レギュレーションなしでは不公平だと考えていたようだ。多くの視聴者にしてみれば、どっちが本当に強いのかを見たかったのに、ハンデ戦が設定されてしまった。その結果生まれたレギュレーションによって、論争が巻き起こる。ただ勝敗に関してはドワンゴの目論見通りで、ハンデ込みでいい勝負になり、興行としては盛り上がった。

 

後継の大会として叡王戦ができた。今度は、棋士とソフトがそれぞれの大会を勝ち上がり、優勝者同士で対決した。2年間やって、ソフトの全勝。ここでははっきり白黒がついたと言える。

 

2016年、山崎隆之叡王 vs ponanzaの観戦記を担当した先崎九段の文章は重い。

これから書く数行は、職業棋士として気が重いし、できれば曖昧にぼかして済ましたいのだが、コンピュータと人間の勝負もある程度闘いを繰り返し歴史を作った今、やはり書かざるを得ないだろう。
 
今のプロ棋士で、コンピュータより人間――我々プロ棋士が強いと本気で思っている者は、ほとんどいない。(p.224)

 

ソフトが強くなると、人間同士の対局にも影響が出始める。ソフトを使った研究が広がることはもちろん、残念な出来事としてはソフト不正使用疑惑があった。詳細は省略されていたのでわからないが、電子機器の持ち込みなどの規則作りが後手に回ってしまった結果だ。この件、よくわからないまま藤井聡太ブームで流れていった印象があるので、ちゃんと検証を読んでみたい気もする。

 

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将棋界がソフト不正使用疑惑でもめていたころ、先崎学九段は将棋界を立て直すべく多忙をきわめていた。対局のほかにも、映画『3月のライオン』のイベントや将棋連盟の組織づくりで動いていた。

 

そんなある日、対局に集中できなくなっていることに気づく。休めば治るかと思いきや、朝がつらい、眠れない、不安になる、決断ができないという状態が続いた。2017年7月、うつ病の診断を受け入院した。その闘病記は『うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間』(文春文庫)として出版されている。

うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間 (文春文庫)

うつ病はどんな病気か。説明的な記述を読んだことはあった。うつは心の問題ではなく、脳の病気である。文の意味はわかる。しかし、ここまで実感にせまった記録を読むのは初めてだった。

7手詰めの詰将棋が解けない。実力差のあるアマチュア相手に苦戦する。これはたいへんなことだ。先崎九段をしてそうなってしまうのかと恐ろしくなった。日常生活においても何ができて、何ができないのか。もちろん一般化はできないが、単に気力がないというのとは違う具体例があって、自分にはわかりやすかった。
 
 
先崎九段のまわりのサポート体制は理想的に思えた。兄が精神科医で、最初の相談のときから入院へ向けて動くことができた。対局を続けたいという先崎九段に対して、「しっかり休んだ方がいい」と話して折り合いをつけることができた。そうじゃなかったら、もっと大変だったかもしれない。

将棋の世界から離れることの不安は大きかった。この病は治るだろうか。治ったとして、熾烈な頭脳勝負の世界に戻れるだろうか。そのことばかりが頭をめぐり、ネガティブになってしまう。将棋界の情報を見ることもできず、藤井聡太の連勝が大きな話題になっていることも知らなかったという。

ネガティブのループに入ったとき、それを止めるのは誰かの言葉だった。それは励ましではなくて、変わらない関係が続いているという安心感のようなものだと読んだ。これが不安をやわらげる。仲間というのは心強い。
よくうつの人には励ましなどプレッシャーをかけてはいけないといわれているが、頑張って元気になってくださいといわれても、私はなんとも感じなかった。落ち込んでないで頑張って気合を入れろ、と高圧的に言われるのがきついのであって、友人などに軽くいわれるのはまったく傷つかないものだ。
 
もっとも嬉しいのは、みんな待ってますという一言だった。 (p.41)
 
医者の力もすごい。うつ病に対する偏見に苦悩する兄の言葉が印象的だった。
「修羅場をくぐったまともな精神科医というのは、自殺という言葉を聞いただけでも身の毛が逆立つものなんだ。究極的にいえば、精神科医というのは患者を自殺させないというためだけにいるんだ」
 
いつだって冷静な兄の怒気をはらんだ口調を前に、本を書くのもいいかな、と思い始めていた。(p.158)
これは病状が回復したころの会話から。人には回復力があるから、とにかく時間をかせぐことが大事なのだと。
 
 
約1年の休場ののち、先崎九段は公式戦に復帰を果たす。1年もすると将棋界のあり方もがらっと変わったはず。病気でなくとも、1年のブランクは大きく、苦労があったに違いない。ちらっと2023年の戦績を見てみると、今日時点で4勝1敗。若手強豪にも勝っている。
 

現役のプロ棋士うつ病とどう向き合ったか。これは他の誰にも書くことができない貴重な記録だ。それがこんなに読みやすいかたちで本になっていることは素晴らしいことで、将棋への興味を問わず、広く読まれてほしいなと思う。