将棋を見るのが好きなので、自然と関連する本に手がのびる。読書が趣味だと、別の趣味とすぐリンクするのがいい。というわけで、将棋のノンフィクションを立て続けに2冊読んだ。とても良い体験だったのでそのことを書いてみる。
本を読んでいると、棋士たちの魅力が随所にみつかる。将棋というゲームを楽しみつつ、棋士を追いかけるのもおもしろいかもしれない。将棋のルールを知らなくても楽しめると思う。
島朗『純粋なるもの 羽生世代の青春』(河出書房新社)
著者は初代竜王となった現役の棋士。羽生善治を代表とする強豪ぞろいの年齢層、いわゆる羽生世代より少し上の世代にあたる。この本は伝記と自伝がミックスされたような内容。
メインとなるのは、将棋界を席巻していく羽生世代の棋士たちの日々。著者の落ち着いた筆致のなかに新しい才能への驚きと尊敬がうかがえ、いまここにしかない美しいものを書き留めておこうという意志を感じる。
著者はいまや伝説的な研究会となった島研を主催していた。そのメンバーは、若き3人の俊英たち佐藤康光、森内俊之、羽生善治。この3人は全員、のちに名人位を獲得することになるスター棋士だ。このメンバーを中心にして、ほかにも森下卓、郷田真隆、先崎学らの若手時代のエピソードがつまっている。
時は90年代。新しく現れた羽生世代はとにかく強く、タイトル戦でも活躍するようになる。将棋は逆転が起こりやすいゲームだ。そのため終盤力が重視されてきた。しかし、この世代が現れていっそう序盤の研究が深くなり、早めに優位を築くことが重要になってきたという。
そして強さ以外の面でも将棋界に新しい感覚をもたらした。これまでの世代が感じてきた栄光や名誉、金など煩悩やプレッシャーに対する態度とは異なり、彼らは盤上技術の勝負のみに集中した。
彼らにとってはカネではなく将棋を通しての自己実現こそがすべてであり、その内容によってのみ将棋を芸術の分野へ引き上げることができるのだと信じていた。
将棋界は勝負の世界だ。それもシビアな。相手よりも深く正確に局面を読めれば勝利し、そうでなければ負ける。他の要素はない。たった一人だけでたたかう実力主義の世界。見た目の静けさとは裏腹に、内面のめまぐるしさは想像に及ばないほどだ。
そんな厳しい世界だからこそなのか、棋士どうしの関係性がとても興味深い。プロになるような棋士たちは、小学生くらいのころから頭角を現し、すでに顔見知りになることも多い。ということは、数十年来の付き合いになる。ずっと一緒に将棋を指す仲間であり、敵でもある。
それだけ長い時間をともに過ごしているとお互いのことをよくわかっている。それでも近づきすぎない独特の距離感がある。
私たちの研究会は、午前中に集まってお昼は一緒にとるのだが、午後四時頃には解散するのが決まりとなっていた。私は夕食をともにすることによって緊張感が薄れていくのを恐れたし、仲間と一日に二回食事をともにするのも、関係としてはハードすぎる感じがしていたのだ。ドライであることは、長続きの秘訣の一つだとも考えていた。
とはいえ、対局後に一緒に帰って飲みに行ったりもする。また、佐藤が森内を車に乗せ、雪の中を一緒に日光まで羽生の対局を見に行った話とか、羽生の婚約の話とか。ほか、ささいなエピソードからも独特の美学を感じた。
北野新太『透明の棋士』(ミシマ社)
もう1冊は記者が書く将棋界。時代はぐっと近づいて2010年代。羽生世代は相変わらず強いけれども、若手の活躍も目覚ましい。とりあげる話題は幅広い。タイトル戦、プロ編入試験、奨励会、電王戦、女流棋士などさまざまなドラマがある。
個人的に思い入れがあるのは、将棋ソフトとの対局に臨んだ棋士を描いた章。もともとぼくが将棋をよく見るようになったのは、電王戦のネット中継がきっかけだった。5人のプロ棋士と5つのソフト、チーム戦5番勝負。ちょうどソフトが強くなってきた時期で、自分の関心は主にAIの発展だったと思う。
「棋士が棋士であるために」はこんな文章から始まる。
すべてが終わった後、報道陣が撤収作業を始めた電王戦最終局の記者会見場で、谷川浩司は敗れた三浦弘行に歩み寄った。そして耳元で言葉を掛けた。いつも以上に優しい目をしていた。すると、敗戦後も一貫して淡々と振る舞っていた三浦の様子にも変化が見られた。頭を垂れ、瞳を閉じている。涙は見えなかったが、私には泣いているように見えた。
三浦弘行は第2回電王戦の最終局に登場し敗れた。プロの中でもトップにいるA級棋士の敗北は衝撃的だった。しかし、当時のぼくはそれがどういうことかよくわかっていなかった。まして、棋士がどんな思いで戦っていたのか知る由もなかった。
この一局の重みはどれほどだっただろうか。断った棋士も多い中、どうして対局を決意したのだろうか。 著者の質問に答える三浦の言葉は胸を打つものがある。
当時、そんな背景は知らずに見ていた。AIへの興味で将棋を見始めたのだが、いまでは人間同士の対局ばかりみている。なぜだろう。北野はあとがきにこう書いている。
いつも透明のままでいる。そんな思いがある。
最終盤の死闘の渦中も、敗れた後の感想戦も、乾杯の夜も。私は常に、棋士としての彼、女流棋士としての彼女が透き通った存在に映る。
不思議なくらいに澄んでいるのだ。盤上に向かう瞳の色も、ふと覗き見える心の奥も。新聞記者になって十二年、様々な世界を取材してきたが、そのような人々に出会ったことはなかった。
ここで「透明」とよばれるもの、そして島が「純粋」と表現したもの。いわく言い難い棋士の魅力を考えるとき、そういった比喩がよく似合う。
将棋ノンフィクションのおすすめ教えてください_(._.)_