『都市は人類最高の発明である』、『アナログの逆襲』

最近は自宅で過ごす時間が多い。わりと普段からインドアではあるが、よく行っていた本屋が閉まっていたりすると途端に不自由になった気がする。いつも本屋に助けられているなぁと思う。

こういうときは本棚をながめて、気になった本の再読をはじめる。自然と読み方も変わってくる。前に読んだときに感想を残していればもっとおもしろかったのに、と悔やむなど。というわけで、2冊ほど書いておきたい。

エドワード・グレイザー『都市は人類最高の発明である』

都市は人類最高の発明である

都市というのは、人と企業の間に物理的な距離がないということだ。近接性、密度、身近さだ。都市は人々が一緒に働き遊べるようにするし、その成功は物理的なつながりの需要に依存する。(p.8)

この本の主張はタイトルが示すとおりで、都市のすばらしさを書いている。

その理由にはさまざまな観点があるが、コアとなるのは多様性と近接性だ。この2つが組み合わさることで、新しいアイデアが生まれ、問題が解決されてきた。画期的な発想には、幅広い知識や技能、バックグラウンドをもった人たちが交流することが重要で、それが起こりやすいのは人が密集している場所、すなわち都市だ。

密集していることのメリットは環境問題についてもいえる。密集していれば人々の移動は効率的になる。移動距離が少ない、公共交通機関が使える、自動車での移動が少ない、などの理由によって一人当たりのエネルギー消費量は都市部で少なくなる。

このタイミングであらてめて読んでみると、やはり疫病についての言及が目を引く。

イデアを広めるまさにその密度が病気も広げてしまう。(p.122)

伝染病は、都市のすばらしい利点――人々を結びつけること――を死因に変えてしまう。(p.135)

古くから疫病は都市にとっての重要課題だった。引用部で端的に示されているように、そしていまや誰もが知っているように、都市のメリットである近接性はウイルスにとっても都合がいい。

しかし、この課題を解決してきたのもまた都市の力だったという。水道などインフラ整備や医学研究への投資によって、人類が疫病と戦ってきた歴史を紹介している。

近接性が重要というけれど、情報技術が発展していれば、物理的な近接性は重要じゃないのでは?という問題にも言及がある。いわゆるリモート技術だ。この点についての著者の見解は、情報技術は対面コンタクトの代替ではなく相互補完的に機能する、というものだ。

サイバー空間でのつながりは、食事や微笑やキスの共有とは同じにはならない。ヒトという生物種は主に、仲間の人間が放つ聴覚や臭覚的なヒントから学んでいる。インターネットはすばらしいツールだが、対面で学んだ知識と組み合わせたときに最大の効果を発揮する。これはインターネット起業家たちがバンガロールシリコンバレーに集中していることが物語っている。ハーバード大学経済学部の学生は一人残らず技術を絶え間なく使うが、同僚や教授とも絶え間ない対面の会合を得ている。最も重要なコミュニケーションはいつまでも対面であり、電子アクセスは知的運動の地理的中心にいることの代替にはならない。(p.326)

個人的な実感とはあっている。原著は2011年だけど、いまでもそうだと思う。だからといって、いつまでも無理というのはやや疑問。たしかに対面と完全に同じにはならないし、ハードルは高いだろうなと思いつつ、それなりに使えるものはでてくるんじゃないかとも思い、技術的な進化を期待してしまう。



*直近のエドワード・グレイザーへのインタビュー記事

www.city-journal.org


デイビッド・サックス『アナログの逆襲』

アナログの逆襲: 「ポストデジタル経済」へ、ビジネスや発想はこう変わる

スマートフォンSNS、配信サービスなどのサービスが盛んになるなかで、レコード、紙、フィルム、ボードゲームといったアナログの人気を紹介し、その理由を考察する。趣味から経済の話まで話題は広め。

なぜいまアナログが人気なのか。体験の喜び、というのが最初にくる。実際になにかに触れること、所有すること。

読書で考えてみる。まずどこで手に取るか。書店か、ネットか、図書館か。あるいは友人に借りることもある。ネットだったら、紙か電子書籍かを選べることも増えてきた。なにを選ぶかで読書体験は変わってくる。手触り、フォントサイズ、読む姿勢(物理)、読む姿勢(心理)、書き込むかどうか、読み終わる期限があるか。

個人的には紙で読むのがいまだに好き。ただデジタルの登場によって、アナログはあえて選ぶものになった。だからこそ、メリット/デメリットに自覚的になってきているという気がする。

 

外出自粛の現状で気になったところは、ボードゲーム、店舗、オフィス。これらに共通しているのは、デジタルとアナログで人との関わり方が変わるということ。アナログには人間関係を構築しやすい、あるいは、その口実という側面がある。

テーブルゲームでは、プレイヤーは実際にはふたつのゲームをプレイしている。テーブルでするゲームと、テーブルの周りでするゲームだ。(p.145)

買い物という行為に秘められているのは、消費への欲求だけではない。商品を求めることは、社会と関わるための口実だ。店で買うタオルや見かけ倒しのおもちゃよりも、そこで交わす会話のほうがはるかに重要なのだ。(p.235)

O+Aが手掛ける設計には、対面での会話を引き出す空間がいくつかある。カフェテリア(タウンホール)では、毎日エンジニアと営業担当者が無料ビュッフェに並ぶあいださりげない交流が生まれる。(p.328)

ふたつのゲームという表現がしっくりきた。だれかと食事をするとき、「食べる」より「しゃべる」がメインのときだってある。広い意味で人と遊ぶには、いまのところアナログの方がやりやすいのかもしれない。デジタルでやるなら、Zoom飲みとかになるのかな。画像合成で遊んだりとか。

この本ではアナログの良さを強調しているが、物事には両面あって、アナログで構築しやすい関係は良いものだけとは限らないのは注意したい。アナログはよくもわるくも密接になる。飲み会が嫌な人もいるだろうし。
 

にしても、はやく『カタンの開拓者たち』をやりたい。 

 

都市は人類最高の発明である

都市は人類最高の発明である