2020年上半期に読んだ本ベスト10

ノンフィクション

東畑開人『居るのはつらいよ』(医学書院)

居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 (シリーズ ケアをひらく)
臨床心理学の博士課程をでた著者は、沖縄のデイケア施設で仕事につく。待っていた業務は思っていたものとは違っていた。それはセラピーとケアという言葉で整理させる。学んできたのはセラピーだったが、現場ではケアが多くを占めていた。セラピーとは心に抱える問題に向き合って解きほぐす。ケアは心理の表面を整え、そこにいることを肯定する。しだいに明らかになるのは、「ただそこにいる」ことの難しさだ。たいていの場合、何かをすることがその場に「いる」ことを支えている。なにもしないでいることとか、意味のない会話とか、目的のない集まりとかの重要性と、その場を維持することの難しさってあるよなぁと思うことも最近増えて、この本の整理には助けられている。
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『都市は人類最高の発明である』、『アナログの逆襲』

最近は自宅で過ごす時間が多い。わりと普段からインドアではあるが、よく行っていた本屋が閉まっていたりすると途端に不自由になった気がする。いつも本屋に助けられているなぁと思う。

こういうときは本棚をながめて、気になった本の再読をはじめる。自然と読み方も変わってくる。前に読んだときに感想を残していればもっとおもしろかったのに、と悔やむなど。というわけで、2冊ほど書いておきたい。

エドワード・グレイザー『都市は人類最高の発明である』

都市は人類最高の発明である

都市というのは、人と企業の間に物理的な距離がないということだ。近接性、密度、身近さだ。都市は人々が一緒に働き遊べるようにするし、その成功は物理的なつながりの需要に依存する。(p.8)

この本の主張はタイトルが示すとおりで、都市のすばらしさを書いている。

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将棋ノンフィクションを読む――『純粋なるもの』、『透明の棋士』

将棋を見るのが好きなので、自然と関連する本に手がのびる。読書が趣味だと、別の趣味とすぐリンクするのがいい。というわけで、将棋のノンフィクションを立て続けに2冊読んだ。とても良い体験だったのでそのことを書いてみる。

本を読んでいると、棋士たちの魅力が随所にみつかる。将棋というゲームを楽しみつつ、棋士を追いかけるのもおもしろいかもしれない。将棋のルールを知らなくても楽しめると思う。 

島朗『純粋なるもの 羽生世代の青春』(河出書房新社

著者は初代竜王となった現役の棋士羽生善治を代表とする強豪ぞろいの年齢層、いわゆる羽生世代より少し上の世代にあたる。この本は伝記と自伝がミックスされたような内容。

純粋なるもの: 羽生世代の青春

メインとなるのは、将棋界を席巻していく羽生世代の棋士たちの日々。著者の落ち着いた筆致のなかに新しい才能への驚きと尊敬がうかがえ、いまここにしかない美しいものを書き留めておこうという意志を感じる。

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『数量化革命』、『測りすぎ』

言葉じゃなくて数字で示せ、とか、定量的な説明を、とか言われがちな昨今。数値にするとたしかにわかりやすい。ドラゴンボールスカウターしかり、 PSYCHO-PASSしかり。

将棋のネット中継が好きでよく見るのだけど、ソフトの評価値が画面にでていると初心者でも見やすい。あくまで暫定的な評価ではあるが、どちらが優勢なのかをざっくりと知ることができる。元々見ていた人の評判はどうかわからないが、将棋ファンの間口を広げるきっかけになっていると思う。


ものごとを数字で示すという考え方が隆盛してきたのは、13~16世紀の西ヨーロッパ。アルフレッド・W・クロスビー『数量化革命』は、数量化によって世界観が更新されるさまを描き出す。西欧の繁栄の背景として数量化と視覚化があり、科学革命を準備したという。

数量化革命

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『情動はこうしてつくられる』、『幸福の遺伝子』

リサ・フェルドマン・バレット『情動はこうしてつくられる』(訳/高橋洋 紀伊國屋書店)を読んだ。この本は、人の情動はどのようにして生まれるのかという問題を最新の科学をもとに解説する。一般に情動は受動的にもたらされると考えられているが、著者は異を唱える。本書の主張はタイトルに端的に示されているように、情動は能動的につくられるというものだ。

情動は、外界に対する反応ではない。人間は感覚入力の受動的な受け手ではなく、情動の積極的な構築者なのだ。感覚入力と過去の経験をもとに、脳は意味を構築し、行動を処方する。(p.64)

情動はこうしてつくられる──脳の隠れた働きと構成主義的情動理論

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オイディプス王をめぐって~『不道徳的倫理学講義』、『論理の蜘蛛の巣の中で』

本を読んでいて印象的な引用があると、ほかの本での言及が思い出されて本棚を見渡すことがよくある。聖書やギリシャ神話は頻出するので、読んだらもっといろいろ楽しめるのだろうなぁと思いつつ手が伸びない。あまりにも言及されるので、ぼんやりとはわかるのだけど。

ギリシャ悲劇のオイディプス王の物語もその一つ。あらすじはこんな感じ。

テバイの王ライオスは「子供が自分を殺して王になる」との神託をおそれ、幼い子供の命を奪おうとする。これを免れた子供オイディプスは、隣国の国王夫妻のもとで自分の素性を知らないまま成人する。オイディプスもまた「自分が父を殺して王となる」という神託を受け、育ての親のもとを去る。そのころ怪物スフィンクスが人々に謎を与えて命を奪っていた。対処に向かったライオスはオイディプスに出会う。争いが起こり、オイディプスは父と知らずにライオスを殺す。その後オイディプススフィンクスを倒し、テバイの王となる。さらに不作と疫病の原因は父殺しの犯人という神託にもとづき、犯人捜しをはじめる。ラストでその真相を知り、自分の目をつぶし宮殿を去る。


去年のベスト本の1つ、古田徹也『不道徳的倫理学講義』にもオイディプスの例がでてきた。この本は、倫理学にとって運がどう扱われてきたかを検討する。ある行動が倫理的かどうかを判断するとき、大きく2つの考え方がある。その行動の目的は善いか。また善い結果をもたらしたか。難しいのは、善い目的でも結果は運に左右されてしまうことだ。だから運の扱いに困ってしまう。そのような困難を抱えた倫理と運の関係を丁寧にたどる。

不道徳的倫理学講義: 人生にとって運とは何か (ちくま新書)

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