ウォルター・アイザックソン『コード・ブレーカー』

ウォルター・アイザックソンの新刊がでたので早速読んだ。『コード・ブレーカー 生命科学革命と人類の未来 』(訳・西村美佐子、野中香方子、文藝春秋)、上下巻。

 

コード・ブレーカー 上 生命科学革命と人類の未来 (文春e-book)コード・ブレーカー 下 生命科学革命と人類の未来 (文春e-book)

ノーベル化学賞をとったジェニファー・ダウドナを主人公に、ゲノム編集技術を中心とした生命科学革命を描く。ダウドナの半生と生命科学の歴史をおりまぜるようなストーリーになっている。

といっても、研究の世界のせまい話ではない。コロナ禍以降、RNAワクチンやPCRといった生命科学の用語が日常に入ってきた。遺伝子の検査や治療も広がっている。それらの基礎である生命のしくみについて理解することは、これから先さらに身近になってくるだろう。

 

遺伝子の革命

著者は、現代の3つの革命として原子、ビット、遺伝子をあげている。20世紀前半には物理学が原子や量子の知見を広げ、その理論は原子力半導体開発につながった。20世紀後半になると、マイクロチップ、コンピュータ、インターネットといった情報テクノロジーが一気に普及し、世界のありかたを変えた。そしていま、遺伝子の革命の時代に突入した。

 

ダウドナは子どものころ、ワトソンの『二重螺旋』を夢中になって読み、科学の道を志す。生命の秘密の根源は化学とつながっていること、ロザリンド・フランクリンのように女性も科学者になれるということが発見だった。

大学で化学を専攻し、研究室のローテーションを終えると、ジャック・ショスタクのもとでRNAの研究をスタートする。当時DNAの研究がさかんに行われており、RNAはそれほど注目されていなかったという。師ショスタクの「大勢の人がやっていることはやらない」という信念からRNAに取り組み、のちに、ゲノム編集とウイルスとの戦いの両方で重要になってくる。

 

生化学者、構造生物学者としてキャリアをつんだのち、クリスパーの研究へ参入する。クリスパーとは、細菌のDNAで見つかった繰り返し配列のことで、ウイルスに対する免疫システムとして機能する。このシステムを筆頭に、本書を読んでいると、生命の進化が生み出すしくみにたびたび驚かされる。ダウドナと共同研究者のシャルパンティエは、これらがゲノム編集に応用できることを示し、2020年にノーベル賞を受賞することになる。

 

ほかの研究者も同じテーマに取り組んでおり、フェン・チャンやジョージ・チャーチらとの激しい競争が起きる。論文をいかに早く発表して、権利関係をおさえるか。ほぼ同時期の発表になることも珍しくなく、ヒト細胞での実証の競争も熾烈に。特許争いでは法廷までいくことになる。

 

倫理

技術はどんどん進歩していくが、倫理的な線引きはすぐには決まらない。ゲノム編集をどこまで認めるべきか。このあたりの記述が思った以上に分厚い。社会の合意を得ながら慎重に進めたい科学者たちは、ガイドラインをつくって自主規制をしていく。

しかし、中国で遺伝子編集をした赤ちゃんが誕生する。そのニュースは業界を動揺させ、実施した研究者も登壇したサミットの様子は、並々ならぬ緊張感があった。

ゲノム編集の影響が個人にとどまる体細胞と、次世代に伝わる生殖細胞ではその行為の重みが違う。またゲノム編集しか治療方法がない病気を治すのと、記憶力を高くするみたいな「強化」は異なる。治療と強化の線引きはむずかしいし、コスト面を考えると格差も懸念される。

ゲノム編集は個人の自由なのか、コミュニティが決めるのか。まだ答えはでていない。マイケル・サンデルのコメントが印象的だった。

もし人間が、自然のくじ引きに手を加えて自分と子どもたちの遺伝的才能を操作する方法を見つけたら、わたしたちは自分の特徴を、受け入れるべき贈り物と見なしにくくなる。

出生に関する偶然性の感覚は、いまとまったく別のものになってしまわないか。それでも重篤な病気をさけられるのであれば、そうしたくなるのも自然だ。むしろなにもしないのは非人道的だという意見もある。

 

コロナ以降

ダウドナをはじめ、この物語に登場した科学者たちが新型コロナウイルスに対してどう立ち向かったか、ということも記されている。競争が目出つ世界だが、危機に対してすばやく協力体制をつくりあげて、検査手法の確立やRNAワクチンの開発につながっていく。よい科学のありかたを見た。これまでの基礎研究や研究者のネットワークがあってこそのスピード感だったこともよくわかる。

 

家庭用検査キットやDIYバイオの文脈で、やがてバイオ系のデバイスが身近になるようなビジョンも示されていた。

家庭用検査キットの開発は、コロナウイルス感染症との戦いにとどまらない影響力を持つ可能性がある。一九七〇年代にパーソナル・コンピューターがデジタル製品とサービス――および、マイクロチップやソフトウェア・コード――を人々の日常生活と意識に持ち込んだように、それは生物学を家庭に持ち込むだろう。

想像したこともなかったが、意外と近い未来なのかもしれない。

 

書き方について

現代の3つの革命と書いた。原子、ビット、遺伝子。それはアイザックソン自身のこれまでの著作と対応している。伝記『アインシュタイン その生涯と宇宙 *1、コンピュータ開発史『イノベーターズ』、そして『コード・ブレーカー』。

『イノベーターズ』では、特定の主人公を立てず、多くの人のコラボレーションとして描き出した。タイトルも人名ではなく、一般名詞の複数形だった。現代のイノベーションはコラボレーションによるもの、という表現でもあった。

今回はこの2つを混ぜたような書き方をしている。細かく章を区切って、ひとりの主人公を追いかけながら、歴史もおりまぜ、ライバルや協力者サイドのストーリーも俯瞰する。

この本もチームの物語として描くこともできたはずだ。実際、「科学がチームスポーツであることを示したい」とも書いている。そうなると、あえて主人公を立てたことの意味を考えたくなる。あらためて序章を読むと、この文が目に留まる。

研究者で、ノーベル賞受賞者で、公共政策の提言者でもあるダウドナの物語は、クリスパーの物語を、科学における女性の役割を含む、より太い歴史の撚り糸と結びつける。また、彼女の業績は、レオナルド・ダ・ヴィンチがそうであったように、イノベーションの鍵は、基礎科学における好奇心を現実の生活に役立つツールの開発に結びつけること、つまり、実験室での発見をベットサイドに運ぶことだということも実証している。

ここを読むと、ダウドナ個人の業績に焦点をあてたいというよりは、ここに書かれたような物語を伝えるために、主人公の役割をたくしたという感じだろうか。

また本作では、著者である「わたし」がしばしば登場する。取材者として、人物の印象を書き記す。また、研究室で白衣を着て、クリスパーの実験を教えてもらったり、ワクチンの治験に参加したことも書いている。そのおかげで、この進行中の革命の様子をより身近で、リアルタイムに感じ取ることができたと思う。

 

 

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*1:文庫化するらしい。本書の著者紹介欄に記載あり