白水社の〈現代史アーカイヴス〉を順番に読んでいる。5作目は、ビル・ブライソン『アメリカを変えた夏 1927年』(訳・伊藤真)。原題は"ONE SUMMER: America 1927"で、原著の発表は2013年。
ひと夏の出来事を通してアメリカの変化を描こう、という構想がタイトルから見て取れる。まずその構想がおもしろい。どんな風に書いて、どれだけの説得力をもつだろうと考えながら読んでいくことになる。
1927年にアメリカに起きた変化とは何か。著者の主張を先に見てしまおう。
今ではちょっと想像しがたいが、一九二〇年代のアメリカ人たちは、大方の重大事はヨーロッパで起きるという世界で生まれ育ったのだった。それが今や突如としてアメリカがほとんどあらゆる分野でトップに立っていた――大衆文化、金融や銀行業、軍事力、新発明とテクノロジー。地球の引力の中心がヨーロッパから世界の反対側へと移りつつあった。そしてとにもかくにも、リンドバーグのフライトがその最高のシンボルとなったのだった。(p.535)
この主張を裏づけるために、邦訳版にして500ページ以上かけてひと夏の物語が描かれる。章構成は、プロローグ、5月、6月、7月、8月、9月、エピローグとなっている。基本的には出来事をベースとした時系列ではあるが、前後の文脈を補う記述も多い。
他のアプローチとしては、分野ごとに章を立てて統計データを軸に分析していくというやり方も考えられるが、そういうスタイルではない。
たくさんの出来事がとりあげられていて、登場人物もかなり多いが、そのなかから2人を選ぶとしたらチャールズ・リンドバーグとベーブ・ルースになる。この2人はこの夏のあいだずっと注目の的だった。
1927年5月21日、リンドバーグは飛行機でパリに着陸した。それは世界初の大西洋無着陸横断飛行だった。しかも単独のフライトであり、若きリンドバーグは一躍有名になった。そしてアメリカ各地を文字通り飛び回っては、一目見てみたいという人々がおしかけるというツアーがメディアをにぎわせた。
当時、アメリカの航空業界はヨーロッパに遅れをとっていたが、リンドバーグの偉業とその後のツアーによって飛行機による移動のイメージが浸透し、投資が活発化したと見立てる。
ニューヨーク・ヤンキースのベーブ・ルースは、この年に異様な活躍を見せた。シーズンを通じてホームランを打ちまくり、9月には大リーグ記録を塗り替えるシーズン60号を達成する。
すごいのはわかるけども、この影響がどれほどのものか、人によって受け止め方が違いそうではある。次の文を読んでも、ほんとに?と思ってしまう気持ちがまだある。
ベーブ・ルースの時代、アメリカの暮らしの中で野球がいかに大きな存在だったか、そして文化的にも心情的にも、どれほど圧倒的にずば抜けて深く根づいていたか、今日の感覚ではなかなかつかみにくい。当時、野球は国民の喜びであり、熱狂の的だった。文字どおり「国民のスポーツ」だったのだ。スポーツに限って言えば、ほぼ一年中、大方のアメリカ人の頭の中を占めていたもの、それは野球だった。(p.144)
そのほかいくつか印象的な記述をあげてみる。
この年の前後の期間を含めて、禁酒法はかなりの影響があると感じた。いくつものゆがみや不正が発生することになる。酒を飲むための抜け穴を見つける必死さは、悲劇を通り越して、ほとんどコメディみたいになっている話もある。そのせいで野球も興行としての収入が減って、ヤンキースのオーナーはビール事業をやっていたので、他の収入源を求めてベーブ・ルースを獲得したりしている。
禁酒運動の背景には、第一次世界大戦の反ドイツ感情との結びつきがあったというのは知らなかった。それに優生学とセットになった偏見が力をもっていたとのこと。
ジャズの時代、競争の二〇年代、誇大宣伝の時代、すばらしきナンセンスの時代......一九二〇年代を彩ったさまざまな呼び名のなかで、誰も使わなかったが、使われるべきだったもの、それは「嫌悪の時代」ではないだろうか。この国の歴史上、一九二〇年代ほど多くの人びとが多様な人びとをわずかな根拠で嫌ったことはないように思う。(p.448)
映画産業もすでに活発で、そして重大な変革期にあった。部分的なトーキー映画『ジャズ・シンガー』が成功をおさめるなど、トーキー映画への移行期にあたる。世界へのインパクトをこんな風に表現している。
世界中の映画の観客たちは、突然、そして多くはまったく初めての体験として、アメリカ人の声、アメリカ人の言葉づかい、アメリカ人の抑揚、発音、そして語順を目の当たりにすることになった。スペイン人の征服者やイギリスのエリザベス朝の宮廷人、それに聖書の人物たちが、急にアメリカ人の声でしゃべり始めた。しかもときたまなんてものではなく、映画に次ぐ映画、映画という映画でそうだったのだ。人びとへの、とくに若年層に対する、心理的な影響の大きさはどれだけ力説してもいいだろう。アメリカ人俳優たちのせりふとともに、アメリカ人の思想、アメリカ人の立ち居ぶるまい、アメリカ人のユーモアセンスや感受性が入ってきた。偶然にも、平和的に、そしてほとんど気づかれることもなく、アメリカは世界を乗っ取ってしまっていたのだった。(p.418)
最後に文章の分量のことを考えたい。邦訳で570ページある。1927年の夏にアメリカが変わった、という主張はもっと短くてもできそうだし、むしろやりやすいとすら言えるかもしれない。際立ったエピソードを5つくらいもってきたりして。
詳細を幅広く丁寧に描けば描くほど、決定的なことは別の年に起きたという例も当然ながらでてくる。そうした場合も書かないのではなく、途中段階を示している。もちろん省略したこともあると思うが。
すると「1927年の夏」はあくまで象徴であるという印象が強くなる。主張の鋭さはいくらか減るけれども、現実的な着地でいいと思う。
主張のおもしろさ以上に読後感として残ったのは文章の分量によるもので、具体的には、1927年の夏をここまで調べあげてストーリーに仕立てられるということ、そして、たったひと夏の出来事さえ書きつくせないほど世界は動いているということだった。
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