『子どもは40000回質問する』、『人は2000連休を与えられるとどうなるのか?』

「好奇心が大事になってきますね」みたいな話のシメってたまにあるけど、じっさいのところ、好奇心がどういうものなのかよくわからない。いい意味でもわるい意味でも使われるし、育むことができるのかも気になる。

イアン・レズリー『子どもは40000回質問する~あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力~ 』(訳・須川綾子、光文社未来ライブラリー)は、人の好奇心のありかたを掘り下げた本。

子どもは40000回質問する~あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力~ (光文社未来ライブラリー)

好奇心といっても種類がある。この本では、まず知的好奇心と拡散的好奇心を分けている。方向性や蓄積があるものを知的好奇心と呼んでいて、拡散的好奇心のほうは、手当たりしだいに新しいものに手を出すようなイメージ。

拡散的好奇心はなにかをはじめる最初の一歩にはなるけれど、その場の思いつきでしかないので興味が続かないし、残らない。ずっとツイッターを見ていて、なんかおもしろかったけどなにも憶えてない、みたいな感じだろうか。

このあたりを読んでいて、自分がブログでやりたいことを再認識できた。拡散的なものからある種のつながりや方向性を見いだす、というような。書いていて思うのは、方向性は後から見つかる場合もけっこうあるということ。そっちの方が多いかもしれない。その方向性をひとつの記事のなかにとどめず、継続的に追いかけてみるのもよさそう。

 

 

さて好奇心の話に戻ると、好奇心は人の個性ではなく、状態であり、環境によって変わる。ほどほどの知識や質問する/されることが好奇心をうみだすという。なにも知らないと、知りたくならない。逆にすべてを知っている(と思っている)と、さらに知りたいとは思わない。

質問は、「知らないことがある」ということを教えてくれる。「少しだけ知っていて、知らないことがある」という状態が好奇心に火をつける。



関連して、おもしろい実験が紹介されていた。スラム街にコンピュータをおいて、子どもたちの行動を観察するというもの。だれかが使い方を教えなくても、子どもたちは興味を示し、コンピュータを操作するようになる。

もう一歩踏み込んで、コンピュータに資料をいれておいて、複雑な問題(ex.DNAの複製)の学習が進むかを調べた。結果はうまくいかない。

そこで大人の監督役をつけることにした。監督役はDNAの複製について何も知らなかったが、「コンピュータと向き合っている子どもたちの後ろに立ち、さかんに褒め言葉をかけ、何をしているのか尋ね」た。すると、子どもの成績は跳ね上がった。

これが示唆するところは、教師に求められることは知識の伝達ではなく、知的好奇心を育むことだ、といえそう。じゃあ詰め込み教育はだめかというとそうではなくて、「少しだけ知っていること」を増やすという目的で、決定的に重要だというのが本書のバランス。

 

 

反対に好奇心がなくなる環境としては、締切のある仕事が挙げられていた。たしかにそう。好奇心は少なからず脱線につながるし、それを許容できる余裕がないとむしろ邪魔になってしまう。質問してみたいけどミーティングが延びるしな、みたいなことで聞かなかったりする。

 

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でかい数字つながりというわけではないけど、上田啓太『人は2000連休を与えられるとどうなるのか?』(河出書房新社)を思い出した。好奇心をそそられるタイトル通りのことが、著者の実体験で記録されている。

人は2000連休を与えられるとどうなるのか?

仕事をやめて、知人宅の物置で暮らしはじめる。収入は多少はあるので金銭的な困難は前景化せず、ありあまる時間と希薄な人間関係という問題がメイン。連休というよりも、社会との関係がうすくなったことによって、ある種の好奇心の「暴走」がおこっている。

 

自分にとって「連休」には良い意味しかないのだけど、それは終わりが見えているからだとわかった。解放感は最初だけらしく、すぐに生活のリズムが乱れ、4か月ほどすぎると不安におそわれるらしい。社会との関係がないことの不安。


頭だけで生きていているような感じで、身体の感覚が薄れてくるらしい。そこで著者は、本を読む、運動する、生活を分単位で記録するなどして、感覚がどう変わるかを見ていく。生活習慣をゼロから考えて、再構築していく。その過程に発見がある。

 

自分の性質を学ぶべきだ。とりあえず、思考は暴走しやすく身体があることを忘れやすい。生活リズムは乱れやすく気分は落ち込みやすい。

だからこそ運動の効用を自覚できたことは大きな収穫だった。運動をして汗だくになると笑顔になってしまうし、機嫌がよくなってしまうのだ。こんな肉体の性質にすら気づかずに生きていた。(p.43)

「身体を忘れる」とか、ほかのところで「自分の濃度が下がる」という表現がでてくるのが新鮮。

 

記録の細かさが気になりつつも、このへんはまだわかると思っていたが、今度は過去にさかのぼって、記憶のデータベースをつくりはじめる。これまで読んできた本から始まって、漫画、音楽、映画、ドラマなどあらゆるコンテンツを登録していく。これまでに出会った人まで登録しはじめたときに、やばさを感じた。

 

記憶の引き出しを限界まで探っていって、自分が何を考えて生きてきたかをチェックしていく。いやなことも思い出したりして、苦行のようになる。読む分には面白かったけど、自分には耐えられないだろうなぁと思った。

 

ほかにも、ふだんの生活の当たり前がくずれたところで、いくつもの疑問がわいてくる。暇だから考える/考えてしまうこともある。環境と好奇心の関係の良い例だと思う。知識を積み重ねていくのとは別に、習慣を解除することもきっかけになりそう。