2019年上半期に読んだ本ベスト10

・フィクション

リチャード・パワーズ『われらが歌う時』(訳/高吉一郎 新潮社)

われらが歌う時 上 われらが歌う時 下

ユダヤ人の父と黒人の母、3人の子供。人種差別のなかで生きるアメリカの家族の物語。家族それぞれのパートがつぎはぎで語られ、合流してくる。その間の世界史的な話をあくまで個人の視点から巧みに描いている。とりわけラスト、リアリティのレベルをはみ出してでも出現させた光景が忘れがたい。

とにかく文章がいい。書き出し「どこか空っぽの音楽室で兄が歌っている。まだ声は湿り切ってはいない。これまで兄が歌ってきた部屋の壁にはいまだに彼の声の反響が彫り込まれている。特別な蓄音機が発明され、その反響を再生する日を待ち続けている。」

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コピーの功罪~『パクリ経済』、『誰が音楽をタダにした?』

パクリやコピーという言葉には悪いイメージがつきまとう。楽して人の成果を横取りしている、と。K・ラウスティアラ&C・スプリグマン『パクリ経済――コピーはイノベーションを刺激する』(みすず書房は、コピーと創造性の関係について常識をくつがえすような事例を紹介している。必ずしもパクリ=悪ではなく、特定の分野ではむしろプラスにはたらいている。

私たちの主要メッセージは、楽観的なものだ。驚いたことに、創造性はしばしばコピーと共存できる。そして条件次第では、コピーが創造性の役に立つことさえあるのだ。(p14)

パクリ経済――コピーはイノベーションを刺激する

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『書物の破壊の世界史』、『華氏451度』、『収容所のプルースト』

フェルナンド・バエス『書物の破壊の世界史 シュメールの粘土板からデジタル時代まで』を読んだ。古今東西、書物が破壊されてきた歴史をたどる。注や参考文献などを含めると700ページを超える大著。

書物の破壊の世界史――シュメールの粘土板からデジタル時代まで

書物が破壊される原因はいくつかあるが、人為的なものが目立つ。たとえば、戦争があるたびに書物は破壊される。石板、パピルス、紙とメディアは時代とともに変化しても、それはずっと続いてる。書物を破壊することは、文化の破壊であり、アイデンティティを破壊すること。あるいは、敵対する言説を封じ込める。逆に言えば、書物は文化やアイデンティティ、思想と不可分なものということだ。
記憶のないアイデンティティは存在しない。自分が何者かを思い出すことなしに、自分を認識はできない。何世紀にもわたってわれわれは、ある集団が国家が他の集団や国家を隷属させる際、最初にするのが、相手のアイデンティティを形成してきた記憶の痕跡を消すことだという事実を見せつけられてきた。
こうしたことが繰り返されまくりで、読んでいてつらい。歴史を知らないと歴史を繰り返してしまう。権力者側は知っていて繰り返しているかもしれないけれど。独裁したい立場だったら、本は有害なのだろう。ただし本を排除して独裁が少し延命したとしても、国全体は確実に沈んでいく。そして本がなくなると、歴史から学ぶことだできずにまたもう一周してしまう。

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贈与と交換 ~『うしろめたさの人類学』、『たまこまーけっと』

松村圭一郎『うしろめたさの人類学』(ミシマ社)を読んだ。この本では、人と人のつながりや関係性の構築について考察している。ものやサービスのやりとり、コミュニケーションに注目していて、そのなかで触れている贈与と交換の比較がおもしろかった。

うしろめたさの人類学

贈与はあげることで、交換は等価なものを取引すること。同じものでも贈与すれば贈り物に、交換すれば商品になる。それがどんな違いを生んでいるのか。バレンタインチョコの例がわかりやすい。
店で商品を購入するとき、金銭との交換が行われる。でも、バレンタインデーにチョコレートを贈るときには、その対価が支払われることはない。好きな人に思い切って、「これ受けとってください」とチョコレートを渡したとき、「え?いくらだったの?」と財布からお金を取り出されたりしたら、たいへんな屈辱になる。

贈り物をもらう側も、その場では対価を払わずに受けとることが求められる。

サイボーグとしての人間~『生まれながらのサイボーグ』、『虐殺器官』

コンピュータは身体に接近している。物理的な位置として。コンピュータ誕生当時は専用の部屋が必要なサイズだったけれど、小型化が進み、いまでは持ち運べる。種類も増えて、いわゆるウェアラブルバイスはメガネや時計の形をとって身体にくっついている。ゆくゆくは皮膚と一体化して内部へ入っていくと考えるのも自然な流れだ。

その延長にポストヒューマンというビジョンがある。人類をより高次な存在へと改良しようというものだ。これに対する反応はさまざまで、楽観論はテクノロジーで幸せになれると主張するし、悲観論にはAIに人類が滅ぼされるみたいな話もある。でも、その話はしない。

人間はこれからサイボーグ化すべきかという議論から少し距離をとって、「人間はそもそもサイボーグだ」というのが、アンディ・クラーク『生まれながらのサイボーグ 心・テクノロジー・知能の未来』(訳/呉羽真・久木田水生・西尾香苗 春秋社)である。その主張によれば、身体とテクノロジーの連携はポストヒューマン的な考えではなく、古くからみられる人間の本性である。

生まれながらのサイボーグ: 心・テクノロジー・知能の未来 (現代哲学への招待 Great Works)
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『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』、『ゼロからトースターをつくってみた結果』

 僕らの知っていた世界は終わりを遂げた。
 格別に強毒型のインフルエンザがついに異種間の障壁を越えて人間の宿主に取りつくことに成功したか、あるいは生物テロ行為で意図的に放出されたのかもしれない。都市の人口密度が高く、大陸をまたぐ空の旅が盛んな現代においては、感染症は破壊力をもってたちまち拡散する。そのため効力のある予防接種を施す間もなく、検疫態勢さえ敷かれる前に地球の人口の大多数を死にいたらしめたのだ。

と、唐突な書き出しで始まるのは、ルイス・ダートネル『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』(訳/東郷えりか 河出文庫)。なんらかの理由で人口が急激に減少してしまった世界で、どうしたらいまのような科学文明をつくりなおせるだろうか。それもできるだけ早く。そのときに必要な知識を一冊にまとめてみよう、という壮大な本。

この世界が消えたあとの 科学文明のつくりかた (河出文庫)

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