サイボーグとしての人間~『生まれながらのサイボーグ』、『虐殺器官』

コンピュータは身体に接近している。物理的な位置として。コンピュータ誕生当時は専用の部屋が必要なサイズだったけれど、小型化が進み、いまでは持ち運べる。種類も増えて、いわゆるウェアラブルバイスはメガネや時計の形をとって身体にくっついている。ゆくゆくは皮膚と一体化して内部へ入っていくと考えるのも自然な流れだ。

その延長にポストヒューマンというビジョンがある。人類をより高次な存在へと改良しようというものだ。これに対する反応はさまざまで、楽観論はテクノロジーで幸せになれると主張するし、悲観論にはAIに人類が滅ぼされるみたいな話もある。でも、その話はしない。

人間はこれからサイボーグ化すべきかという議論から少し距離をとって、「人間はそもそもサイボーグだ」というのが、アンディ・クラーク『生まれながらのサイボーグ 心・テクノロジー・知能の未来』(訳/呉羽真・久木田水生・西尾香苗 春秋社)である。その主張によれば、身体とテクノロジーの連携はポストヒューマン的な考えではなく、古くからみられる人間の本性である。

生まれながらのサイボーグ: 心・テクノロジー・知能の未来 (現代哲学への招待 Great Works)

サイボーグ(cyborg)はcybernetic organism(サイバネテックな有機体)の略語で、人間とテクノロジーが融合したものを意味している。

サイボーグというと、体にチップを入れる、脳に電極を刺すといったイメージがある。これらを侵襲型(貫通式)というが、本書ではこのようなイメージに疑問を投げかけている。

人間の脳の特別なところは、そして人間の知性の際立った特徴を最もうまく説明するものは、非生物的な構築物や補助具と深く複雑な関係を取り結ぶ能力にあるからだ。ただしこの能力は、ワイヤー-インプラント方式の物理的な融合には依存せず、むしろわたしたちが情報処理的な融合に対して開かれていることに依存する。自分が書くという行為を通して思考しているかのように感じたことがある人なら誰でも知っているように、このような情報処理的な融合は、シリコンやワイヤーを肉体に侵入させることなく達成できる。

つまり、重要なのは物体が身体に入ることではなくて、物体と身体に相互作用があって連携するということ。サイボーグの定義を変えているような気もするが、人間の特徴をとらえるという観点からはとても興味深い。

では、その情報処理的な融合とはなんだろう。最初に示される具体例は、紙とペンで大きな数のかけ算をするときのこと。いきなり答えは出せないので、まずは簡単な計算に分けて行う。途中結果を紙に書きだし、それを見ながら手順に計算していく。このときのプロセスは脳内で完結せず、記号を用いて外部の記憶システムとやりとりをしている。これが情報処理的な融合というわけだ。

・・・。言っていることはわかるけど、まったくサイボーグ感がない...。どこにでもあるごく普通の景色に思える。

でも、よくよく考えてみるとすごい。紙とペンがなければ計算はできない、というその事実。また、身体の外に情報を出力して一定時間後に入力に返ってくるわけだから、思いっきり抽象化すれば、義手を脳波で動かしているのと同じだ。

この計算プロセスにサイボーグ感がないところも重要。裏を返せば、優れた義手ならば、やがて違和感がなくなることを意味するからだ。使い慣れた道具(ラケット、グローブ、服、キーボード、マウスなど)を体の一部だと思ってしまうように。

適切なフィードバックがあると、人間はその環境に慣れていき、環境と自分との境界はあいまいになる。人間の認知システムはそのくらい柔軟にできている。このような意味で、人間はサイボーグ的である、と。


人間は生まれながらのサイボーグである。この視点に立つと、人類のサイボーグ化の是非は違うように見えてくる。この先、サイボーグになるべきかという対立はなくなり、どんなサイボーグになるのかという課題だけが残る。

 

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伊藤計劃虐殺器官(ハヤカワ文庫)を数年ぶりに読んだ。やはり傑作。あらすじは、世界各地で発生する大量虐殺の黒幕を追いかける、というものでエンターテインメントとして大変優れているが、それよりも設定の緻密さに目を奪われる。

虐殺器官〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

ポイントはたくさんあるけれど、今回特にすごいと思ったのは人間観だった。黒幕に接触する、あるいはカウンセリングを受ける中で、主人公は次のような人間観に遭遇する。人間は一つの確固たる主体をもたず、進化によってつくられたモジュールの集まりである。身体に組み込まれたデバイスナノマシンによって感情や行動が制御されている世界設定がそのことをより強く意識させる。

人の能力はどんどん拡張される。モジュールを組み替えるようにして。パーツのように自分の一部が交換できたり、チューニングするように感情をコントロールして、痛みも殺意も罪悪感も感じないようにできる。そうすることで、主人公は戦場で有利な立場に立てる。しかし、他方で自分のことがわからなくなり、生きている実感がなくなってしまう。

このことは実は『生まれながらのサイボーグ』とつながっている。人間の認知システムは高い柔軟性をもつのは、進化によってつくられたモジュールの集まりだからであり、十分な技術があればさまざまな器官は交換可能である。感情を感じる器官も。決して交換できないものを自分の本体とするならば、その本体の場所はあいまいにならざるをえない。