『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』、『ゼロからトースターをつくってみた結果』

 僕らの知っていた世界は終わりを遂げた。
 格別に強毒型のインフルエンザがついに異種間の障壁を越えて人間の宿主に取りつくことに成功したか、あるいは生物テロ行為で意図的に放出されたのかもしれない。都市の人口密度が高く、大陸をまたぐ空の旅が盛んな現代においては、感染症は破壊力をもってたちまち拡散する。そのため効力のある予防接種を施す間もなく、検疫態勢さえ敷かれる前に地球の人口の大多数を死にいたらしめたのだ。

と、唐突な書き出しで始まるのは、ルイス・ダートネル『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』(訳/東郷えりか 河出文庫)。なんらかの理由で人口が急激に減少してしまった世界で、どうしたらいまのような科学文明をつくりなおせるだろうか。それもできるだけ早く。そのときに必要な知識を一冊にまとめてみよう、という壮大な本。

この世界が消えたあとの 科学文明のつくりかた (河出文庫)

まずは生き残ることを考えないといけない。建物やインフラはそのまま残されている想定なので、水、食料、燃料、医薬品を集める。水の殺菌方法は数パターン書かれている。あとは要約すると「スーパーマーケットでしのげ」。まあ確かに。


衣食住にある程度の余裕ができたとして、次に大事なのは知識だ。

失われる前に集めなければならない何よりも重要な資源は、知識である。

たとえば、本書の参考文献として挙げた本の多くには、文明を興すのに必要となる重要な実践的技能やプロセスが詳細にわたって書かれているので、探しだすだけの価値が充分にある。

知識があれば、機械を作ったり材料を合成したりするための試行錯誤をかなりショートカットできる。本書もそれだ。逆に言うと、知識が失われると文明は衰退する。そういったことは歴史においてしばしば起きている。

どのような知識が選ばれているか。まずは農業。土壌、耕し方、栽培品種、道具の使い方など。そのほかざっと見ていくと、燃料、酸・アルカリ、金属、ガラスなどの作り方から、肥料の合成や無線通信までカバーしていて、大変心強い。

 

しかし、いくら知識があってもできないこともある。現代社会は大人数の分業体制による協力によって成り立っているからだ。一人でできることは限られているため、急激に人口が減るといままでの生活は維持できない。たとえば、自動車は最初のうちは使えるが、燃料がなくなったり、故障したりして使えなくなる。再び使うには、メンテナンスに必要な物資をつくりだすだけの余剰が必要になる。

つまり、食糧の生産量や人口のスケールしだいで扱えるテクノロジーは制限されてしまう。だから、まずは農業に注力する必要がある。人口を維持するという問題をクリアしてはじめて分業や工業といった次のステージに進むことができる。

いまの都市を中心とした生活はそうした基盤の上に成り立っていて、多くの人の分業によって大規模な協力がなされている。当たり前だけど、よくよく考えるとすごい。

 

***

 

分業しないでものづくりをするのは、どれくらい大変だろうか。ありがたいことに、実際にやってみた人がいる。イギリスのデザイナーであるトーマス・トウェイツは、『ゼロからトースターをつくってみた結果』(訳/村井理子 新潮文庫)でその過程をおもしろくレポートしている。

ゼロからトースターを作ってみた結果 (新潮文庫)

このプロジェクトでは、次のようなルールを設定している。

  1. トースターをつくる
  2. 材料は自然から取り出す
  3. 基本的に産業革命以前の方法を使う

これを一人でやるというなかなかのハードモード。

 

作業開始。まず既製品のトースターをばらして、必要な材料をリストアップする。鉄、マイカ、プラスチック、銅、ニッケル。各材料に一章が当てられ、原料の入手や部品の加工の様子を記録していく。

鉄のパートでは、鉱山に鉄鉱石を取りに行くところからはじまり、自前の溶鉱炉で抽出し、精錬を行う。その試行錯誤がおもしろい。全然うまくいかない。ルールもちょいちょい妥協して、精錬するとき電子レンジを使ったりしてる(電子レンジと炎は基本的に同じというすごい言い訳も書いてある)。

興味深かったのは、ベストな鉄の抽出方法が載っていたのが現代の書物ではなく、16世紀の文献だったこと。当然それ以降にもっといい方法が生み出されているが、それらは一人では使いこなせないという。これも作業スケールによって扱えるテクノロジーが制限され、歴史を戻さなくてはいけないという例だ。
 
完成したトースターは表紙の黄色いやつだ。作製期間9か月、移動距離3060キロ、費用15万円。
今回のトースターを作るという試みは、僕らがどれだけ他人に依存して生きているかということを教えてくれた。自給自足や地産地消という考えに憧れはあるけれども、同時にそこには不条理も存在する。どのみち、大量飢餓を起こすことなくシンプルな時代まで時計を巻き戻すことはもうできない。
 
***

 

この2冊は、分業体制がくずれたときのシミュレーションとして読める。そして、どちらも文明の足跡をたどっていく。分業のしくみがどのような条件のうえで機能して、いまの生活をつくっているかを教えてくれる。たくさんの人がそれぞれの専門に分かれて仕事をしている。その結果として、安くて便利な製品を大量につくりだせる。これが生活の基盤になっている。

人類全体の知識は増えていく一方で、わからないことも増えていく。これは仕方ない。すべての専門家になれればいいけど、それは無理。かわりに、個人がカバーできる範囲はわずかであること、それが全体とどういう関係になっているかを知っておきたい。