『欲望の植物誌』、『視覚化する味覚』

マイケル・ポーラン『欲望の植物誌――人をあやつる4つの植物』(訳・西田佐知子、八坂書房)の副題が気になって読み始める。植物が「人をあやつる」ってどういうことだろう?人が植物を育てているのであって、それは逆だろうという直感にひっかかる。

欲望の植物誌―人をあやつる4つの植物

この本が提示するのは、植物が人間の欲望を利用することで繁殖してきたという見方。この視点から、リンゴ、チューリップ、マリファナ、ジャガイモの4種の隆盛をたどる。

 

人間と植物、どちらがどちらをあやつっているのか。結論は両方。植物には人間の欲望が反映されているし、適応した植物が勢力を拡大していく。注意したいのは「あやつる」というのはあくまでも比喩で、植物が意図をもっているわけではない。結果的にそう見える、くらいの意味ととらえた。

個々の歴史を見ていくと、現在広く栽培されている植物が、昔からそうだったわけではないことがわかる。社会が変われば、人間と植物の関係も変わる。ここがおもしろいところ。

 

たとえばリンゴはもともと酒用の果物で、当時はいまほど甘くはなかった。それでも砂糖が希少だった時代には貴重な甘味だった。禁酒運動をきっかけに、食用リンゴの市場が広がり、さらなる味と見た目をもとめて株の選別が進んだ。

こうしたマーケットのもとでは十九世紀のリンゴが誇っていた多様性など、もはやお呼びではない。今や求められているのは、たった二つの性質のみ――「美しさ」と「甘さ」、これだけなのだ。そしてリンゴにおける「美」とはこの場合、均一な赤さのことであり、褐色のリンゴなどは、どれほどおいしかろうと滅びる運命にあった。(p.99)

ジョン・チャップマンという人が、アメリカの開拓地にリンゴの種を植えて回った。その種から育ったリンゴは、遺伝子の交配によってさまざま色・形・味になる。これが多様性をつくっていて、そのなかから好みのものが選ばれた。

 

逆に、好みの果実ができても、その種からは全然違うリンゴができてしまい。それでは都合が悪い。そこで、クローンとして苗木を増やす接ぎ木法が開発され、「ふじ」などの人気品種が生まれた。

これと同じことが、種芋から育てるジャガイモにも起こる。野生はあまりに多様なので、人の好みにあうのはほんの一部しかない。多様なジャガイモというニーズはあまりない。いつものマックポテトが食べたいと思ってしまうので。

こうした少数品種の大量栽培にはデメリットもある。クローンでつくるということは、その品種の進化は止まっている。一方、病害虫はどんどん進化していくので、標的になりやすい。そうしたとき、野生の多様性の中から対策をみつけることもあったという。

 

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久野愛『視覚化する味覚―― 食を彩る資本主義』(岩波新書)のテーマは、食品の見た目。食の歴史には、味の追求とともに、色・形へのこだわりもある。先のリンゴの例でいえば、「甘さ」のほかに「美しさ」という基準があった。

視覚化する味覚: 食を彩る資本主義 (岩波新書 新赤版 1902)

スーパーに行ったときのことを考えてみる。試食ができる場合をのぞけば、先に食べるわけにはいかないから、手がかりはどうしても見た目になる。色がよくて、形がきれいなものはおいしそうだなぁと。

 

そうすると、作る人や売る人たちがこう考えるのも不思議ではない。味と同じくらい、あるいはそれ以上に見た目を整えよう。

 

 

象徴的な例としてオレンジが紹介されている。広告やブランディングのなかで、明るいオレンジ色で描かれたオレンジが宣伝される。これは完熟具合や新鮮さを表現したとともに、新鮮さのイメージもつくっていた。これは自然な色であると同時に、あるべき色という文化的産物でもあった。

そして、「自然と文化のハイブリッド(混成)」としてのオレンジは、人々が普段生活で目にする視覚環境、そして果物の色に対する見方をも変化させた。農業技術の発展によって物理的にオレンジを改良するとともに、オレンジ色で表象された果物は健康、新鮮さ、自然のシンボルとして構築されていったのである。(p.71)

 

ところが、オレンジの色のバリエーションは品種や地域によって違う。食べごろがオレンジ色になるカルフォルニアとは違い、フロリダでは緑だった。カリフォルニアのオレンジが消費者の心をつかむ一方で、フロリダの農家は「見た目と味は別」路線で宣伝するが、やがて色を操作する方向にいく。

 

エチレンガスによる成熟促進や着色料などの技術がでてきて、賛否両論がまきおこる。安全性への懸念もでてくる。前者は「自然」だからよくて、後者は「人工」だからダメという意見もあって興味深い。

 

このこと自体が、食品の色の重要性を示している。もう緑のままでいいよ、という意見は、大きな市場ではおそらく勝てない。「自然な色」がよいという規範はそのままに、その色は人工的に作り出されるものとなった。

 

 

農作物でさえ工場化が進むなかで、加工食品はさらにコントロールがきいている。バターとマーガリンの戦いはその好例になっている。

 

バターの代替品として生まれたマーガリン。安価な類似品の登場におびやかされた酪農業界や産業を守りたい政府は、対策を打ち出す。ポイントになるのは、バターの黄色。より「本物」の黄色を目指して開発をすすめる。着色料をつかう人たちもいた。

 

しかし、当然ながら着色料はマーガリンにも使えるので、ますますバターと区別がつかない。そこでマーガリンの着色を禁止したり、ピンク色に限定する法律をつくる。対して、マーガリンと着色料をセット売りで対抗する。マーガリンの着色が家事として定着していた、とあって驚いた。


ここまでくると、なにがなんだかわからない。自然も人工も、本物も偽物もない。色ってそんなに大事だっけ?と思うけれど、スーパーの食品売り場に立つとき、もうそんなことは忘れているだろうなぁ。