アイニッサ・ラミレズ『発明は改造する、人類を。』

アイニッサ・ラミレズ『発明は改造する、人類を。』(訳/安部恵子、柏書房をたいへんおもしく読んだ。人類の発明をあつかった本はたくさんあるけれど、あまり注目されていないエピソードを拾い上げているという印象。有名な物語の陰にかくれた発明者を描き、発明と文化の関係を掘り下げている。

 

"The Alchemy of Us ――  How Humans and Matter Transformed One Another"という原題が示すように、人類が物質を変えたというだけではなく、その逆も起きることにかなり意識的なのも特徴。

 

発明は改造する、人類を。

300ページ強の本文にはさまれる102枚の充実した図版をみるだけでもおもしろく、語り口には著者の経験が反映されている。

さいころ、科学には楽しさと驚きがいっぱいだった。けれどもその後、科学者になるという私の夢はすっかりしぼんでしまった。座って科学の講義を受けていると、涙がこみあげてきた。どの講義も、楽しく感じるとか驚きをもたらすことからは程遠かった。(p.9)

その後大学に入り、とある先生との出会いをきっかけに、科学への興味を取り戻し、研究者やサイエンスコミュニケーターへの道を進む。この本は、学校での科学になじめなかった過去の著者のような読者も想定して書かれている。

 

「改造する」というタイトルからは人体をサイボーグ化するようなイメージが浮かぶかもしれないが、発明による変化はさまざまなかたちをとる。テクノロジーがつくりだす環境によって、人の行動様式が変わる。たとえば蓄音機がつくられてから、音声とのかかわり方は大きく変わることになる。『生まれながらのサイボーグ』で述べられているように、これを一種のサイボーグ化とする見立てもある。

  

 

知られざるエピソードに光を当てる

全8章でそれぞれのテーマをとりあげ、著者の専門とする材料科学の観点から光を当てていく。時計、鉄道、電信、写真、電気照明、録音、ガラス、コンピュータ。それぞれ独立したものとして、好きなところから読むことができる。

 

一番意外だったのはコンピュータの章。コンピュータの歴史を書いた本はいくつか読んだが、本書のような系譜で描いたものは珍しいと思う。40ページほどでまとめるとしたら、階差機関、パンチカード、真空管チューリングマシントランジスタ集積回路あたりがよく見る並び。

 

対して本書は、電話交換機とゲルマニウム単結晶をクローズアップする。コンピュータのなかでも、ネットワークをつくるためのスイッチという観点が前面にでている。

 

いまからみると、初期の電話はだいぶ使いにくい。顧客はまず電話会社のオペレーターに電話をかけ、話したい相手を伝える。電話会社にあるスイッチボードという配線設備の切り替えを行うことで、電話の相手をつないでいた。使用者が増えるにつれて、ボードは複雑になっていき、電話交換手という職業ができた。対応が丁寧という理由から女性が多く配置されたという。

本質的に、彼女たち――「ハロー・ガールズ」と呼ばれた女性オペレーターたちはスイッチになったのだ。電話は最終的に、電話の装置と若い女性を結びつけた。装置と女性の〔原文ママ〕たちのこの共生関係は、カンザスシティから気難しい葬儀屋がやってくるまで続いた。(p.301)

この葬儀屋アルモン・ストロウジャーは、自動電話交換機を発明することになる。電話交換手のせいで電話がうまくつながらず商売を逃している、と思いこんで開発したらしい。素晴らしい勘違いだ。自動化がすすんだ結果、電話交換手という職業はなくなっていく。

 

 

トランジスタ以前、ゲルマニウムという元素の実用性は認められていなかった。しかしゴードン・ティールは科学的好奇心によって研究をつづけていた。1947年、ベル研でショックレーのグループがトランジスタを開発したとき、その材料はゲルマニウムだった。トランジスタは現代コンピュータの基本要素で、画期的なスイッチングデバイスとして登場した。

 

材料となる半導体は、原子が規則的に並ぶ単結晶を用いるのが現在では常識だが、当時のショックレーは理解していなかったという。これは読んでいてかなり意外だった。すごい人は全部わかっていたと思い込むのはよくないなと自省。

 

ティールは単結晶の重要性を訴え、ゲルマニウムの単結晶をつくる方法を開発する。やがてその重要性は認められるようになる。またティールはゲルマニウムからシリコンへの移行にも一役買っている。

ベル研の物理学者たちは、原理を一回だけ証明しようとかノーベル賞をとろうとか、短期的思考で研究していたが、ティールは、再現性と信頼性のあるスイッチと増幅器を量産するという長期的なことを考えていた。(p.317)

強調された対比になっているとは思うが、ショックレーらについては多く語られるのに対し、ティールのような仕事がもっと知られていいというのは同意。

 

このテーマだったら、ショックレーの話がメインに置かれる方が自然だと思ってしまっていたので、類書とは違う側面を描こうとしていることがわかる。反面、メジャーどころの詳細には不満があるかもしれない。なので、ほかの本と合わせて読むのが一番いい。本書の巻末にある参考文献もガイドとして有用。

 

うしなわれた文化、うまれる文化

電話交換手の例が示すように、発明がもたらした変化は、文化のありかたを変えてしまう。発明は次から次へと行われるので、文化はつねに過渡期にあるといえる。あるときに生まれた文化は、いつの日か失われるときがくる。もうなくなってしまった文化を知ることは、当時のテクノロジーと文化の関係を知る手がかりになる。

 

時計を扱った第1章で、ある女性の物語が描かれる。

ルース・ベリヴィル(1854-1943年)は顧客に時間を届けた。一週間に一度、メイデンヘッドにある小さな家から、50キロメートル東のロンドンまで三時間の旅をして、そこからグリニッジに向かい、丘の上の王立天文台を訪ねた。天文台の入り口の門に九時までに到着してベルを鳴らすと、門番が挨拶をして正式に彼女を中へと迎え入れる。近づいてきた案内係に彼女は時計のアーノルドを手渡す。小さめのカップで紅茶を飲み、門番と世間話をして待っているあいだに、時計は天文台の主時計と比べられる。それから案内係が戻ってくると、アーノルドの示す時間と天文台の主時計との差が記された証明書とともにアーノルドを彼女に返す。ルースは信頼できるタイムキーパーと公式文書を手にして丘を下り、テムズ川のほとりまでやってきてフェリーに乗り、ロンドンの顧客のもとへ向かった。(p.18)

映画のオープニングのような印象的な文章だ。背景を確認しておくと、標準時が制定され、さまざまな場所で使われるようになってから、離れた場所でどうやって時計を合わせるのかという問題がでてきた。まだ電気的な通信が整う前、基準となる時計に合わせて各地に運ぶ仕事があった。彼女は「グリニッジタイムレディ」と呼ばれた。

 

時計の刻みが正確でなく、通信の方法もないなかで、みんなが正確な時刻を知りたいとなればそういう仕事が生まれる。そんな状況をこれまで想像したことがなかったので、すごい新鮮だった。なんというか逆にSFっぽい感じがする。

 

文化の多様性というときに、違う地域や国のことがまず思い浮かぶが、時間方向にも当てはまる。いまある文化もいずれ変わっていく。そこには思わぬ可能性や想像の余地がある。自分がSFで好きなのは、科学の描き方というよりもその結果生まれた文化がしっかり入ったものかもしれないと思った。

 


テクノロジーとバイアス

写真をとりあげた章では、テクノロジーがもってしまう偏りについての言及がある。学校行事でクラス写真を撮影したときの話。

白人の子どもは、いつも見えるとおりに写ったが、黒人の子どもは顔の特徴が見えず、インクの染みになっていた。フィルムは暗い色の肌と明るい色の肌を両方同時に写し取ることができなかった。フィルムの化学組成には、気づかれていないバイアスがあったのだ。長いあいだ、学校は人種によって分けられていて、黒人の子どもたちと白人の子どもたちの写真は別々に撮られていたので、フィルムのこの欠陥には誰も気づかなかった。だが、学校が統合されて、黒人の母親はカラーフィルムが自分の子どもを暗がりに置き去りにするのを目の当たりにした。(p.158)

 

フィルムの化学組成は白人の肌に最適化されていた。どうやら技術的には対応可能だったのだが、放置していたということのようだ。このようなテクノロジーのバイアスは過去のものではない。最近の例では、画像処理アルゴリズムでも似たような問題があった。このフィルムの例が先取りしていたというのは驚いた。


 

他方、エジソンが発明した蓄音機(フォノグラフ)の影響として、人種を超えた文化の交流が描かれる。

さらに、フォノグラフにうながされて、はっきりとした人種差別が存在する国ならではの音楽スタイルが作り出された。黒人と白人に社会的な付き合いはなかったが、フォノグラフのレコードは人種間の境界を乗り越え、白人ミュージシャンと黒人ミュージシャンが互いの音楽を聴き合い、互いの音楽スタイルを借り合った。フォノグラフは文化を運んだ。これらのミュージシャンどうしの音楽の共有が、ジャズやブルース、後のロックンロールの成立をうながし、エジソンには決して予想できなかった社会のまとまりを生み出した。(p.231)

音楽の歴史をここまで単純化していいものか判断する知識はないので、もう少し詳細を知りたいところではある。が、演奏する場がもっていたであろう閉鎖性の外側で、音楽的な交流ができるようになったというのはその通りだと思う。その結果として新しい出会いがあったはずで、まさにテクノロジーのもたらした恩恵といえる。

 

 

 

本書は全体を通して、テクノロジーに対して功罪を併記するように構えている。テクノロジーの楽観論と悲観論がぶつかるなかで、まずは関心を促すところからはじめようとしているのが良かった。

 

 

 

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