ここのところずっと伊藤憲二『励起 仁科芳雄と日本の現代物理学』(みすず書房)を読んでいた。2段組1000ページで、内容も重厚なノンフィクション。しっかり集中できる時間にしぼって読み進めていたら、2か月ほど経っていた。せっかくなのでメモを残しておきたい。
仁科芳雄がどのくらい知られているのかよくわからないが、自分としては、仁科は物理学者で、戦前から戦後にかけて日本で指導的な立場にあった、というくらいのイメージだった。
読み始めてすぐ、「仁科芳雄という出来事」と題された序文について思わずツイートしている。
伊藤憲二『励起 仁科芳雄と日本の現代物理学』、序文が良い。仁科の伝記ではあるけれど、仁科個人よりもかなり広い関心のもとに読まれるべき本という印象。広く、日本や科学、あるいは戦争、組織かもしれない。そうしたいくつもの線が、ネットワーク的につながっていくおもしろさがありそう。
— nobu (@kinob5) 2023年8月1日
科学史において伝記というジャンルはどのような位置づけなのか。このへんの記述も興味深い。
— nobu (@kinob5) 2023年8月1日
ここに書いた通りで「仁科個人よりもかなり広い関心のもとに読まれるべき本」という認識は、読み進みながら強まっていった。科学者の伝記として関心から手に取ったが、結果として研究のインフラづくりについてより多くの示唆を受けた。これが本書の最大の特色かもしれない。
仁科と不可分に絡み合った人物や無生物全体からなる歴史的文脈を考えたとき、歴史的な対象としての仁科芳雄は、そのような歴史的文脈の一部が、ある特異な状態に引き上げられたものとして描くことができるのである。
本書が目指すのはそのような観点から仁科について描くような伝記である。仁科の重要性を示すには、彼の物理学について述べるだけでも、あるいは彼の人格、人となりについて述べるだけでも、または物理学や社会やそのほかさまざまなことに関する彼の思想について述べるだけでも不十分なのだ。この伝記は境界の両側を融合させようとするものである。(p.9)
たとえば仁科は帝大に進学し、理化学研究所で働くようになる。帝大や理研は当時どのような文脈をもっていたか。それぞれを源流からおさえていく。書名に表されているように、仁科という「個」を軸にしながらも「場」をとらえようと試みる。本が分厚くなるのは必然といえる。
本書は伝記でありながら、科学史にとって伝記はどうあるべきかという問いを内包している。この本はその答えになっている。本書に連なるような作品があればぜひ読んでみたいと思う。作中で挙げられていた中の1冊、小山慶太『寺田寅彦 漱石、レイリー卿と和魂洋才の物理学』(中公新書)はちょうど積んでいたのでより楽しみになった。
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