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連想読書日記

本を読んでいるときに湧きおこった連想のゆくえについて。

いま、紙の本について~『紙つなげ!彼らが本の紙を造っている』、『文体の科学』

電子書籍が登場してからというもの、ずっと考えていることがある。電子書籍だとうまく読めない、紙とは何かが違う。その何かとはいったいなんなのか、いつも名指せぬままだ。なぜか紙の方がしっくりくる。慣れの問題だろうか、それとも。短い記事ならスクリーンでも読めるが、数十ページはきつい。

 

どうやら記憶しやすさと関係があるのではないか、というヒントを見つけた2冊の本について書いてみたい。

まずは、佐々涼子『紙つなげ!彼らが紙の本を造っている』(早川書房)。東日本大震災で被災した日本製紙石巻工場が復興する過程を描いたノンフィクションである。

 その中に紙の魅力を語る一説がある。紙の手触りや香り、ページをめくる体験や本に残る痕跡について述べたうえで、こう続ける。

些細で意識もしていないが、実は紙の本に触れることによって得られる周辺の記憶や痕跡すべてが、文章の理解や記憶に影響を与え、我々に一層深い印象を刻み付けるのである。

感覚としてよくわかる。文章の内容に、もれなく位置情報がついてくるような感覚。文章と物が一対一で対応していることで、記憶の手がかりが多いという風に言えるかもしれない。忘れないために線を引く、ページを折るというのも同じ理由だろう。

 

もう一冊。山本貴光『文体の科学』(新潮社)。この本は、様々な文章—―法律、科学、小説、批評などの文体について考察する。

文体の科学

文体の科学

 

 終章でコンピュータの登場以降、書物の内容(データ)と形式(ハード)が分離されたときに起こる読書体験についてこう書いている。

例えば、「同じ」文章であっても、どんな書体を用いるかによって、読み手がそこに書かれていることを信じる度合いが変わってしまうことや、「同じ」文章であっても、読みやすく印刷するのと少し読みづらく印刷するのとでは、読み手の集中度や理解度が変わってしまうことなどが、各種実験を通じて指摘されている(ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』、村井章子訳、早川書房)。

さらに、印刷術以前の写本時代に、装飾や色づかいによって読む者の記憶を助けていたことが指摘されている。このあたりは認知科学的にもこれからの課題らしく、おもしろい研究結果がでてくることが待ち遠しい。そのとき電子書籍にも新しい可能性が生まれるかもしれない。

 

ここまで、電子書籍より紙の方が読みやすいという感覚について書いてきた。紙のほうが記憶しやすいのではないか、ということにいったん落ち着いた(もちろん個人の感覚として)。だからといって、電子書籍はだめとは思わない。漫画はkindleで読むことが多い。活字でも、電子書籍で紙と同じように読めるのがベスト。本の管理や持ち運びが便利なのは間違いないので。

また電子書籍の登場によって、記憶を物質に頼っていたことがよりはっきりしたともいえる。紙が記憶の補助ツールになっている。まるで計算するときに、計算用紙を使うように。

(最後になって、単に自分が忘れっぽいだけではという気が・・いやいや、使えるツールは使えばいいんだ・・)

ヒトと他とを分かつもの~『文化進化論』と『サピエンス全史』

アレックス・メスーディ『文化進化論』(NTT出版)を読んでいる。進化論という視点から、細分化された学問に統合的な見取り図をもたらすことを目指す。

文化進化論:ダーウィン進化論は文化を説明できるか

文化進化論:ダーウィン進化論は文化を説明できるか

 

 第1章では、文化の定義と重要性を確認する。定義を引用する。

文化とは、模倣、教育、言語といった社会的な伝達機構を介して他者から習得する情報である 

 区別すべきは、遺伝による情報と個人で学習した情報とある。そして、この「文化」こそ人類にとって重要であるとする。遺伝は伝達スピードが遅い(世代のスケール)、個人学習はコストがかかる(全部自分で毒見)のに対し、「文化」は伝達が速く、コストが少ないことがその理由である。

 

この観点から歴史をたどったのが、ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』(河出書房新社)ではないだろうか。

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 

 

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

 

 この本の中で「虚構」や「物語」と呼ばれているものが、上述した「文化」に対応している。

歴史の大半は、どうやって厖大な数の人を納得させ、神、あるいは国民、あるいは有限責任会社にまつわる特定の物語を彼らに信じてもらうかという問題を軸に展開してきた。とはいえ、この試みが成功すると、サピエンスは途方もない力を得る。なぜなら、そのおかげで無数の見知らぬ人どうしが力を合わせ、共通の目的のために精を出すことが可能になるからだ。

 神、国民、有限会社以外にも、お金、人権、法律などなど実体のないものによって、人類の歴史は動いてきた。この軸の作り方は、とても見通しがいいように思う。(もちろんその前提として、遺伝由来の二足歩行とか脳の大容量化はある)

 

生物は進化によって多様化し、やがて人類は「文化」を武器に栄えた。そして、「文化」にも進化を見出せるなら・・・?

 

 

パーソナル・コンピュータ~『アラン・ケイ』と「ぼくの、マシン」

パーソナル・コンピュータの歴史をたどると、起源にアラン・ケイという人物がいる。コンピュータを研究者や専門家だけのものではなく、一般の利用へ普及するための理念を掲げた。それがDynabookと呼ばれる。具体的にも、マウスやウィンドウなど今では当たり前になっているユーザーインターフェースを研究した。

アラン・ケイ (Ascii books)

アラン・ケイ (Ascii books)

 

逆に言えば、当時のコンピュータはパーソナルではなかった。ひとつのマシンを複数人で共有するタイムシェアリングというシステムで運用していた。そもそもコンピュータは、一般の人にとって用途が明確でなく、マシンのサイズも大きい。その時代にパーソナル・コンピュータを提唱したことに先見の明がある。その理念はアップル社に流れ込み、パーソナル・コンピュータは製品となり普及していくことになる。Dynabookのビジョンは、まだまだ有効であるように思える。

 

タイムシェアリングからパーソナル・コンピュータへ。その歴史のさらに先を描いた小説がある。神林長平の短編「ぼくの、マシン」である。

いま集合的無意識を、 (ハヤカワ文庫JA)

いま集合的無意識を、 (ハヤカワ文庫JA)

 

 マシンパワーと回線が強化され、さらに監視社会的な観点からパーソナル・コンピュータはなくなる。ネットワーク接続が前提となり、中央に置かれた巨大マシンのターミナルのみ使用が許される。主人公の深井零はハッキングして、パーソナル・コンピュータを取り戻そうとするが、失敗に終わる。

結局、それはどういうことかわかるか、と深井零はエディス・フォスに訊く。

「どういうことって?」

「あのマシンが」と深井零は言った。「日本で最後の、パーソナルコンピュータだったんだ。あれを最後にパソコンは絶滅した」

この例は極端ではあるが、いまの言葉でいえばクラウドコンピューティングに重なる。タイムシェアリングからパーソナル・コンピュータへ。そしてクラウドコンピューティングへ。そんな流れが見えてきた。

 

経済と集団思考 ~ 『人工知能と経済の未来』、『賢い組織は「みんな」で決める』

人工知能と経済の未来』を読んでいて、『賢い組織は「みんな」で決める』を連想したという話。

 話題の本『人工知能と経済の未来』を読んでいた。人工知能の発達を解説し、未来の経済の在り方を示している。AIが労働市場に広がったときの社会保障としてBI(ベーシックインカム)を提案する。明快なビジョンが示されていて、とても面白い。

 

ベーシックインカム以外の案としてソ連型の計画経済を検討し、市場経済との比較から欠点を指摘する。そこでハイエクの主張を紹介している。

オーストリアの経済学者フリードリヒ・ハイエクは、価格を決定するために必要な需要と供給に関する情報を一箇所に集めることは現実的に不可能だと言いました。このような情報の局在性ゆえに計画経済では妥当な価格の決定はできないと論じています。(p209)

価格を決める要因はあまりに膨大なので、だれかが価格や生産量を計画すると効率が悪く、市場に任せて自由な取引の中から価格が決定されるほうがよいと。

 

ここで、1つ前に読んでいた本のことを思い出した。この本にもハイエクへの言及があったからだ。

賢い組織は「みんな」で決める:リーダーのための行動科学入門

賢い組織は「みんな」で決める:リーダーのための行動科学入門

 

『賢い組織は「みんな」で決める』は、集団思考や集団での意思決定について書いている。人が集まって組織をつくったときに、どうすれば賢い選択をできるのか、心理学や行動経済学から考察している。


ハイエクへの言及があるのは予測市場を扱った章。予測市場とは、将来予測をするための先物市場である。

予測市場を理解するには、社会主義計画経済を徹底的に批判した二〇世紀の偉大な思想家、フリードリヒ・ハイエクから始めなくてはならない。ハイエクは、自由市場の重要性、とりわけ情報を集約する方法としての重要性を主張した。(p220)

ハイエクは、価格の最大の利点は多くの人々の知識と嗜好を集約できることで、中央集権的な計画者や集団、理事会などが集めるよりはるかに多くの情報を統合することができると主張した。(p221)

情報集約の方法として市場のメカニズムが優れており、集団の意思決定のツールとして使える!ここにもハイエク


驚いたのは、全然別の話をしていると思っていた2冊の本で同じ人の同じ主張を参照していること。情報を集めるなら市場が最も効率的である(byハイエク)。それを経済活動と集団の意思決定の文脈に適用する。確かにどちらにも当てはまるなと思いつつ、いやもともとこの2つは同じ話だったんだと思い始めている自分がこわい(たのしい)。普遍性。古典の古典たるゆえんを垣間見た。肩書もひとつは経済学者で、もうひとつは思想家。

 

計画経済の悩みは、みんなの意見をまとめられない会議の問題とつながっていて、すべてを見通せないぼくらは市場をつくって、モニターする。根本の原因は情報の共有・集約がうまくできないから。

コミュニケーション/交換を扱った本で思い浮かべるのは、柄谷行人『探究Ⅰ』。どこかでつながっているような。

 

 

はじめに

本を読んでいると、既視感に見舞われることがある。前にどこかで同じようなものを・・というような。記憶を頼りに本棚から探してみると、確かに似ている。でも、全く同じではない。比べてみるとより細かいところが見えてきて、それがおもしろい。ときにはあまりの勘違いぶりに、何と勘違いしたのかにむしろ興味がわいてきたり笑。
 
そんなつながったという感覚、連想から考えたことについて書いていきます。その本の本題とは関係ないかもしれません。それでも思いがけないつながり、意外な引用やオマージュにわくわくしてしまうのです。結果的に、全然違う話でしたということもありそうですが、それはそれで。