たぶんまだないけど読みたい本の話

読みたい本はたくさんある。冊数のこともそうだけど、それらの本がどんな状態にあるのかにも注意を向けてみてみたい。

 

まず読みかけの本がある。本棚にいれてある本、あるいは電子端末に保存した本がある。読みたいの中には未読と再読がある。まだ持っていなくて、今度買いに行こうと思っている本もある。予告をみて発売を楽しみにしている本もあるだろうし、海外の本なら翻訳されるのを待っているかもしれない。そして、まだ書かれていない本がある。

 

あったら読んでみたい本。探しているものの、見つかっていない本。当たり前だけど、書かれていない本は読めない。でも読みたいということはある。そんな、たぶんまだないけど読みたい本を2つほど紹介してみます。

 

といいつつ、検索不足の可能性は大いにあるので、知っている方がいたら教えてください。読みます。まだないけど書けるよ、という方はぜひお願いします。読みます。つきつめると「自分で調べて書けや」なので、未来の自分に期待します...。

 

①大量生産の思想史

産業史のなかで大量生産がどのように発展してきたか(ここまではある)とともに、文化のなかでの位置づけがどう変わってきたのかを俯瞰的に書いた本。 

 

同じものを大量に作り出すことによって、商品の価格が下がり普及していった。大量生産された商品は無機質なデザインになりやすく、それが未来を象徴する時期が一時的にあったのち、画一化・無個性という観点からの批判がおこる。たとえば団地とか。

 

職人との対比という軸もある。機械でつくるか、手で作るか。ハンドメイドの価値がどのように変わってきたのか。DIYと量産、混ぜ合わされたメイカームーブメントまで言及する。工場のあり方やイメージも。

 

資源や環境という観点ではどうか。大量生産のほうがおそらく効率はいいんだろうけど、なんかイメージが悪いような気がする。そのイメージって一体なに?

 

ほかに、比喩として「量産型」という言葉が流通するようになった背景とか、断捨離的なものって量産への批判じゃなくて信頼だよね、みたいな話が書いてある。

 

ざっくりまとめると、ものづくりのなかで発展してきた大量生産の歴史やその功績とともに、「大量生産」という言葉がまとった思想やイメージの移り変わりを書いた本。

 

 

②科学エッセイの系譜

科学エッセイという文章のジャンルがある。正式な定義は知らないけど、とりあえずは、専門家ではない一般の人に向けて科学的な知識や考え方を書いた文章、くらいに考える。論文や科学のニュースとは違って、もっと語り口がやわらかい感じの。

 

科学エッセイの良さをうまく言語化できていないので、とても気になっている。身近な現象を科学的な見方でとらえて、ちょっと離れた世界に連れ出して、「正確」よりも「わかりやすい」「おもしろい」寄りに調整した感じというか。

 

もっと極端に、知識は二の次で好奇心の喚起をメインにしているといってもいいかもしれない。「知識の伝達というよりも欲望の変形」というような(ref.『ゲンロン戦記』)。

 

科学エッセイのエッセンスをとりだすべく、その系譜をたどっていく。日本だとおそらく寺田寅彦中谷宇吉郎あたりが重要人物になる。あの時代の人ってなんで多才なんだろうとか考えてしまう(いまもそうなのかもしれない)。さらに前の時代にはどんな文章があるだろう?著者の専門分野にトレンドはあるだろうか?

 

海外はもっとわからない。サイモン・シンリチャード・ドーキンス、マーカス・デゥ・ソートイがまず浮かんだけど、これは科学ノンフィクションか。ちょっとニュアンスが違うような気もするがどうなんだろう。ファラデーとかアシモフあたりがいい仕事してそう。

 

ところで、科学エッセイを書いたら、科学コミュニティで評価されるのだろうか。されてほしいけど、あんまりされてなさそう。正確じゃない、とか言われそう。それでも書く方がいるのは本当にありがたい。おもしろいだけでも十分なのだけど、こういうサイエンスコミュニケーションみたいなものが、重要になる場面がきっとあるはず。最近ならワクチン接種とか?

 

サイエンスコミュニケーション全般をみると、科学エッセイ的な動画もありそうなので、別のメディアへの展開などのことも最後に書いてある。

 

山本貴光さんが出版予定の『科学の文体(仮)』に、近いことが書かれているのではないかと勝手に期待している。