パーソナル・コンピュータ~『アラン・ケイ』と「ぼくの、マシン」

パーソナル・コンピュータの歴史をたどると、起源にアラン・ケイという人物がいる。コンピュータを研究者や専門家だけのものではなく、一般の利用へ普及するための理念を掲げた。それがDynabookと呼ばれる。具体的にも、マウスやウィンドウなど今では当たり前になっているユーザーインターフェースを研究した。

アラン・ケイ (Ascii books)

アラン・ケイ (Ascii books)

 

 逆に言えば、当時のコンピュータはパーソナルではなかった。ひとつのマシンを複数人で共有するタイムシェアリングというシステムで運用していた。そもそもコンピュータは、一般の人にとって用途が明確でなく、マシンのサイズも大きい。その時代にパーソナル・コンピュータを提唱したことに先見の明がある。その理念はアップル社に流れ込み、パーソナル・コンピュータは製品となり普及していくことになる。Dynabookのビジョンは、まだまだ有効であるように思える。

タイムシェアリングからパーソナル・コンピュータへ。その歴史のさらに先を描いた小説がある。神林長平の短編「ぼくの、マシン」である。

いま集合的無意識を、 (ハヤカワ文庫JA)

いま集合的無意識を、 (ハヤカワ文庫JA)

 

 マシンパワーと回線が強化され、さらに監視社会的な観点からパーソナル・コンピュータはなくなる。ネットワーク接続が前提となり、中央に置かれた巨大マシンのターミナルのみ使用が許される。主人公の深井零はハッキングして、パーソナル・コンピュータを取り戻そうとするが、失敗に終わる。

結局、それはどういうことかわかるか、と深井零はエディス・フォスに訊く。

「どういうことって?」

「あのマシンが」と深井零は言った。「日本で最後の、パーソナルコンピュータだったんだ。あれを最後にパソコンは絶滅した」

この例は極端ではあるが、いまの言葉でいえばクラウドコンピューティングに重なる。タイムシェアリングからパーソナル・コンピュータへ。そしてクラウドコンピューティングへ。そんな流れが見えてきた。