『集まる場所が必要だ』、『メタバースとは何か』

社会学者のエリック・クリネンバーグ『集まる場所が必要だ――孤立を防ぎ、暮らしを守る「開かれた場」の社会学』(訳・藤原朝子英治出版を読んだ。コロナ以降、一か所に集まらないで働いたり、人と話したりということが増えた。集まることの意味はどれだけ残っているだろう、なんて思いながら本屋を歩いていて、この本を見つけた。

集まる場所が必要だ――孤立を防ぎ、暮らしを守る「開かれた場」の社会学

原著は2018年出版なので、書かれたのはコロナ以前。もうそのころのことを忘れかけているが、いまと変わらず集まる場所は重要なテーマだった。この本でいう「集まる」は物理的な場を前提にしていて、そうしたインフラの価値を主張している。

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『欲望の植物誌』、『視覚化する味覚』

マイケル・ポーラン『欲望の植物誌――人をあやつる4つの植物』(訳・西田佐知子、八坂書房)の副題が気になって読み始める。植物が「人をあやつる」ってどういうことだろう?人が植物を育てているのであって、それは逆だろうという直感にひっかかる。

欲望の植物誌―人をあやつる4つの植物

この本が提示するのは、植物が人間の欲望を利用することで繁殖してきたという見方。この視点から、リンゴ、チューリップ、マリファナ、ジャガイモの4種の隆盛をたどる。

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将棋ノンフィクションを読む05――『羽生 21世紀の将棋』、『藤井聡太論 将棋の未来』

順位戦が佳境を迎えている。藤井竜王はあと1勝でA級に昇級となる。順調に勝ち上がれば、最年少名人の可能性も残していて目が離せない。

最終局を前に、A級を29期守った羽生善治九段の降級が決まった。去年もあやうくというところだったので、いつかそういう日がきてしまうと思っていたが、まだまだそんなことはないと信じたい気もしていた。自分が生まれてからずっとそうだったから。

 

保坂和志羽生 21世紀の将棋』(朝日出版社)を読んだ。1997年に芥川賞作家が書いた羽生論で、あまり目にすることのないタイプの本だった。独自のインタビューなどはなく、公開されている雑誌の記事や棋譜から羽生の将棋観にせまる。

羽生 21世紀の将棋

羽生善治以前、将棋についての語り方は、次の2つしかなかったと著者はみている。定跡研究や「次の一手」のような技術論と将棋を人生にたとえる人生論。羽生の将棋観はそのなかではとらえきれないという。この本はこれまで読んできた本とはひと味違い、将棋を棋士の物語としてとらえていない。

結論の先取りのようになるが、まず、現状、羽生善治のいきついた(ないし、目指している)将棋観を要約すると次のようになる。

人は将棋を指しているのではなくて将棋に指さされている。一局の将棋とは、その将棋がある時点から固有に持った運動や法則の実現として存在するものであって、棋士の工夫とはそういった運動や法則を素直に実現させるものでなければならないし、そのような指し方に近い指し方のできたものが勝つはずだ (p.13)

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『灼熱』、『ニュースの未来』

年末年始に読んだ本のことを書いてみる。

 

ひとつは小説、葉真中顕『灼熱』(新潮社)。舞台は第二次世界大戦期のブラジル日本人殖民地。2人の少年の人生を中心に、戦場から離れた地での混乱を描く。トキオはブラジルで地主の子供として生まれ、村で指導的な家族として尊敬を集める。勇は沖縄で生まれ、大阪でつらい日々をすごしたのち、家族とともにブラジルに来て働きはじめる。トキオと勇は親友であり、ライバルであった。

灼熱

 
しかし戦争が始まると、2人の道がわかれる。薄荷をつくり、アメリカに輸出するトキオの家は、敵国を支援する「敵性産業」として攻撃される。勇はためらいながらも、トキオに秘密で攻撃する側につく。ここは戦場ではないがゆえに、戦争にいけないうしろめたさから正義心が過熱する。結果、トキオは村にいられなくなり、一家で引っ越すことになる。
 
玉音放送以降、村を離れたトキオは日本が負けたという認識をもち、その先を考える。一方で、勇を含めた村の住民は戦争に負けたことを認めず、日本が勝ったと信じている。負けたと言う人達に対し「デマだ、国の尊厳を貶めるな」と反発する。実際にこういう考えはむしろ多数派で、いわゆる「ブラジル勝ち負け抗争」は50年代まで続いたという。全然知らなかった。

2021年下半期に読んだ本ベスト10

2021年ももう終わりということで、恒例にしている下半期に読んだ本からベスト10を選びました。フィクションとノンフィクションからそれぞれ5冊。読んだ本としては60冊くらいでいつもと変わらず。

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まだ紙の本がメイン

選んでみてから気づいたのですが、本谷有希子マイケル・サンデル以外は初めて読む著者でした。まだ出会っていない面白い書き手がいる、というのはうれしいことです。ツイッターやブログで発信されてる方のおかげで新しい出会いがあるので、今後ともよろしくお願いします。

 

フィクション

呉明益『自転車泥棒』(訳/天野健太郎 文春文庫)

自転車泥棒 (文春文庫)

オールタイムベスト級。しばらくこの本のことばかり考えていた。出先で読み終わってすぐにノートと付箋を買い、メモをとりながら、すべての「自転車」を追いかけて再読したのを覚えている。ものがもつ記憶、過去の人たち、あるいは動物たちまでを含めた「時間への敬意」を描くとはどういうことなのか考えた。小説について長めに書いたのは、小川哲『ゲームの王国』以来かな。どちらも魔術的リアリズムと形容されているので、いまとても気になっているテーマ。来年読んでいきたい。

 

kinob5.hatenablog.com

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創作の裏側~『数学者たちの楽園』、『エラリー・クイーン 創作の秘密』

サイモン・シン数学者たちの楽園 ――「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち』(訳/青木薫新潮文庫)を読んだ。『フェルマーの最終定理』などで有名なサイエンスライターが、アメリカのアニメ「ザ・シンプソンズ」に隠れた数学をおもしろく解説する本。

 

数学者たちの楽園―「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち―(新潮文庫)  ザ・シンプソンズ シーズン 1 DVD コレクターズBOX

 

アニメを見たことがなくても、その制作の裏側をみることができるのは楽しい。脚本家チームには、数学、コンピュータサイエンス、物理学と理系のバックグラウンドをもつ人がそろっていて、隙あらば脚本に数学ネタをしこんでいく精神が見どころ。

 

数学ネタの解説もおもしろいが、一番印象的だったのは、第四章「数学的ユーモアのなぞ」で書かれている、脚本と数学の関係。

バーンズは、『ザ・シンプソンズ』に加わるようになった経緯を語ったのち、数学クイズとジョークの共通点について考えを聞かせてくれた。どちらも注意深く作り上げられて、意外などんでん返しがあり、事実上のオチがある。優れたクイズとジョークは人を考えさせ、答えがわかった瞬間に、人を微笑ませるというのだ。おそらくそんな共通点が、『ザ・シンプソンズ』の脚本家チームに数学者が加わることをこれほど意義あるものにしているのだろう。(p.107)

人を考えさせる時間をつくる、それが楽しませることにつながる、というこの一節にハッとした。こうした視聴者との信頼関係はすばらしいものだ。考えさせる=むずかしい=つまらないの回路とは真逆。

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