「足がつる」がわからない

「足がつる」を意識しはじめたのは、小学校の低学年くらいだっただろうか。まわりでぽつぽつと、この言葉を聞くようになった。それは水泳の授業だったり、野球をしているときだったりした。

 

足がつった人はその場で止まって足をおさえ、とても苦しそうにしていた。痛みがひくのを待って、ストレッチをした。ぼくはそのころまだ足がつったことがなく、「足がつる」ということがなんなのかわかっていなかった。大丈夫かな、と思うのと同時に、なにが起きているのかを知りたがった。

 

周りに聞いてみた。突然痛みにおそわれる、しばらく安静にしているとおさまる、筋肉が引っ張られるような感じ、つる前の予感がある、など教えてくれた。なかには、長時間正座したときにおきる「しびれ」と混同している人もいた気がするが、なんとなくのイメージはできた。

 

それでもまだ謎は残った。「足をつる」という言葉の使い方について。みんながこの言葉をどうやって覚えたのかが気になった。あるときには、「君がその現象をそう呼ぶのはわかったけど、なんでそれがみんなと同じ「足がつる」だとわかるの?」というようなことを聞いた。いま思えば、そうとうめんどうなやつだ。

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『「第二の不可能」を追え!』、『トポロジカル物質とは何か』

ポール・J・スタインハート『「第二の不可能」を追え!』(訳/斉藤隆央、みすず書房)を読んだ。理論物理学者である著者が、ありえないといわれていた物質を30年にわたって探求する過程を描いたノンフィクション。科学の良さがつまった好著だった。

「第二の不可能」を追え!――理論物理学者、ありえない物質を求めてカムチャツカへ

私は早くから、何かの考えが「不可能」と退けられるときにはいつも、じっくり考えるようになっていた。たいていの場合、科学者は、エネルギー保存則を破るとか、永久機関を作るといった、まるっきり論外のことを指して不可能と言う。この種の考えを追い求めるのは意味がない。だがときには、何かの考えが「不可能」と判断されながら、その前提が、それまで考慮されたことのない条件のもとでは成り立たないこともある。私はそれを、「第二の不可能」と呼んでいる。

 

根底にある前提が明らかにされ、長らく見過ごされてきた抜け道が見つかったら、第二の不可能は、大きな転機となる発見をする貴重な機会、ひょっとしたら一生に一度かもしれない機会を科学者にもたらす、宝の山となりうる。

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本を2冊ならべて~『人文的、あまりに人文的』、『読書は格闘技』

ブログを始めてから4年が経った。月一のペースとはいえ、自分でも意外なほど続いている。なにが良かったのだろうかと考えてみると、"しばり"をいれたことだと思う。
 
連想をきっかけに、本をつなぐように書くこと。これが思いのほか楽しい。なんとなくの連想を言葉にするのはそれなりに大変だけれども、書いているうちに理解がすすんだり、最初に思っていたのとは違うほうへと展開されることもよくある。
 
で、ブログをはじめるときのきっかけになった連載が2つある。いまではどちらも本になっているので、今回はその2冊について書いてみたい。
 

まずは山本貴光吉川浩満人文的、あまりに人文的 古代ローマからマルチバースまでブックガイド20講+α』(本の雑誌社。「ゲンロンβ」で連載されていた対談形式のブックガイド(2016.5~2018.7)。全20回で、毎回2冊の本を取り上げている。

人文的、あまりに人文的

ふつう書評といえば、1人が1冊の本について書いたものをイメージすると思う。この本では2人で2冊を語りあう。たとえばこんな風に。

『恋するアダム』、『レンブラントの身震い』

イアン・マキューアンの新刊『恋するアダム』(新潮クレストブックス、訳/村松潔)がでた。原題は"Machines Like Me"。人工知能がテーマの小説ということで興味をそそられて早速読む。

恋するアダム (新潮クレスト・ブックス)

舞台になるのは、この世界とは別の歴史をたどった架空の1982年ロンドン。イギリスはフォークランド紛争に負け、アラン・チューリングは生きている。人工知能の技術はめざましく進んでいて、わたしことチャーリーが購入した最新のアンドロイド「アダム」を購入するところから物語は始まる。

購入後には各自で性格のパラメータを調整する。そこでチャーリーは上階に住むミランダと半分ずつ設定することにした。好きな人との共同作業。まるで遺伝子をひきつぐ子供のようだ、という想像もめぐらせる。それから2人はアダムをきっかけにして距離を縮めて、恋愛に発展していく。

しかしあろうことか、アダムがミランダに恋をする。チャーリーは上階の寝室にいるミランダとアダムの気配を感じ取ってしまう。

階段を駆け上がって、彼らを制止することもできただろう。しかし、わたしが置かれている立場にはドキドキさせられる一面もあった。これは単なる欺瞞や浮気の発覚ではなく、じつにオリジナルな、現代の先端を行く体験――人工物によって寝取られた史上初の男になるという体験――だったからである。
思わず笑ってしまった。自分が買った機械でなにしてんだ、という気分になる。このあたりの設定がうまい。
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将棋ノンフィクションを読む03――『証言 羽生世代』、『不屈の棋士』

だれもが知る棋士羽生善治の世代には何人もの強豪棋士がいる。いわゆる羽生世代はなぜこんなにも強いのだろう?大川慎太郎『証言 羽生世代』(講談社現代新書)はこの問いの答えを追い求め、棋士たちにインタビューした記録である。

証言 羽生世代 (講談社現代新書)

羽生善治佐藤康光森内俊之郷田真隆藤井猛丸山忠久。1969~1971年の間に生まれ、のちにタイトルホルダーとなったこの6名を本書では羽生世代と呼んでいる。

彼らがタイトルの座についていたのは、1989年~2017年のあいだ(あくまでいまのところ)*1。この期間に212回のタイトル戦が行われたが、そのうちの136回を羽生世代が獲得している。他にもたくさんの棋士がいる中で、3回に2回というものすごい記録だ。

*1:羽生九段は2020年にも竜王戦に挑戦している

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2020年下半期に読んだ本ベスト10

半年ごとに書いている恒例のベスト10。今回はノンフィクションが多めになりました。

ノンフィクション

東浩紀『ゲンロン戦記』(中公新書ラクレ

ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる (中公新書ラクレ)

「知の観客をつくる」というミッションで、株式会社ゲンロンを経営した10年の記録。それは戦記と呼ぶにふさわしい苦闘の連続だった。メンバーの離脱、資金繰り、多数の在庫などなど。一見、思想家とは思えない仕事もしているが、事務的な業務を抜きにして、継続的な活動が成り立たないことがよくわかる。思想と実践の結びつきや伝え方はどんどん具体的になり、リアリティを増していると感じる。印象的な個所を引用。

いまの日本に必要なのは啓蒙です。啓蒙は「ファクトを伝える」こととはまったく異なる作業です。ひとはいくら情報を与えても、見たいものしか見ようとしません。その前提のうえで、彼らの「見たいもの」そのものをどう変えるか。それが啓蒙なのです。それは知識の伝達というよりも欲望の変形です。

 

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