2020年下半期に読んだ本ベスト10

半年ごとに書いている恒例のベスト10。今回はノンフィクションが多めになりました。

ノンフィクション

東浩紀『ゲンロン戦記』(中公新書ラクレ

ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる (中公新書ラクレ)

「知の観客をつくる」というミッションで、株式会社ゲンロンを経営した10年の記録。それは戦記と呼ぶにふさわしい苦闘の連続だった。メンバーの離脱、資金繰り、多数の在庫などなど。一見、思想家とは思えない仕事もしているが、事務的な業務を抜きにして、継続的な活動が成り立たないことがよくわかる。思想と実践の結びつきや伝え方はどんどん具体的になり、リアリティを増していると感じる。印象的な個所を引用。

いまの日本に必要なのは啓蒙です。啓蒙は「ファクトを伝える」こととはまったく異なる作業です。ひとはいくら情報を与えても、見たいものしか見ようとしません。その前提のうえで、彼らの「見たいもの」そのものをどう変えるか。それが啓蒙なのです。それは知識の伝達というよりも欲望の変形です。

 

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アセモグル&ロビンソン『自由の命運――国家、社会、そして狭い回廊』

自由の命運  国家、社会、そして狭い回廊 上

前作『国家はなぜ衰退するのか』に続いて、たいへんな力作。前作では国家のもつ制度を包括的/収奪的という区分けで整理し、国家の繁栄とのかかわりを論じた。本書はその枠組みを発展させながら、人々の自由というテーマを扱っている。

 

本書の主張をシンプルに要約するなら、次のようになる。自由の実現には国家が必要で、その国家の力は社会と均衡している必要がある。このことを示すために、古今東西の豊富な事例が紹介される。この具体例の厚みが、本書の価値をぐっと高めているように思う。

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『記憶のデザイン』、『独学大全』

近所の本屋に閉店のお知らせが貼ってあった。いまの部屋に引っ越してきてからの数年間、よく足を運んで本を買った店だ。特に目的もなく本棚を眺めるのも好きで、お決まりのコースができていた。
 
まず入ったら右に歩いて、雑誌コーナーへ向かう。なにかしら気になるものが目に入ってきて手に取る。それからエッセイ、ノンフィクション。おおよその並びは覚えているので、新刊があるとすぐにわかる。次は人文と自然科学の棚が向かい合うゾーンへ。本棚の幅に対して、仲正昌樹がやけに充実していて誰かのこだわりかなぁとか思う。折り返して、政治・経済と見て・・・と続く。
 
こんな風に空間や本棚と結びついた記憶がある。他にも本屋はあるし、本はネットで買えるけれども、あの空間を歩きながら思いをめぐらすことはもうできない。
 
 
ちょうど読んでいた山本貴光『記憶のデザイン』(筑摩書房によれば、自分の記憶は自分の中だけで成り立っているのではない。外の環境と関わり合いによって生じている。この本では、膨大な情報がおしよせる環境にあるいま、どんな記憶の状態がよいだろうか、ということを考えていく。

記憶のデザイン (筑摩選書)

将棋ノンフィクションを読む02――『受け師の道 百折不撓の棋士・木村一基』、『天才 藤井聡太』

今年の7月、藤井聡太七段は早くも2回目のタイトル挑戦をしていた。相手は、前年に最年長で初タイトルを獲得した木村王位。最年少と最年長、対照的な組み合わせになった。

樋口薫『受け師の道 百折不撓の棋士木村一基』は、木村の修業時代からタイトル獲得までの半生を描く。百折不撓(ひゃくせつふとう)とは、木村の座右の銘で、「何度失敗してもくじけないこと」という意味だ。その言葉に現れているように、タイトルへの道のりは険しいものだった。

受け師の道 百折不撓の棋士・木村一基

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『統計の歴史』、『急に具合が悪くなる』

今年ほど、統計を意識させられる年もない。感染者数、陽性率、重症率、再生産数などの数字が毎日更新される。都道府県ごとのマップが作られて、時系列のグラフが作られる。初期に起こった、検査数と偽陽性をめぐる議論も、直観ではとらえにくい統計の話だった。

ここ最近、ずっと統計の存在感が増している。個人がスマホを手にし、ネットワークにつながり、生み出されたデータが分析される。計算能力の増大もともなって、統計データがさまざまな意思決定に関与している。

全盛期を迎えたといってもいい統計は、どんな歴史をもつのか。オリヴィエ・レイ『統計の歴史』では、主にヨーロッパで統計が定着していく様子をたどる。17~18世紀に基礎がつくられ、19世紀前半に急速に広まることになる。

統計の歴史

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「その2人の関係」としか、言いようがない

角田光代『キッドナップ・ツアー』という夏休み小説がある。夏休みの初日、小学生のハルは外を歩いているとき、父親に「ユウカイ」される。それから二人はさまざまなところへ行く。買い物をして、海へ行って、宿で泊まる。ある日は公園でキャンプをする。またある日は、山に登って寺に泊まる。行き当たりばったりの旅路。これは親子旅行ではなく、あくまで「ユウカイ」というていで進む。
 

キッドナップ・ツアー (新潮文庫)

 
父親には謎が多い。仕事はどうしているのか、母親との関係はどうなのか。はっきりと語られることはない。想像するに、仕事はなさそうで、母親との関係も良くない。だらしない、みっともない、そんな印象を抱かせるばかりだ。そんな父親のことをハルは他人のように思い始め、しかし同時に好きになっていく。
遠くで手をふる小さなおとうさんは、他人みたいだった。
私は、あそこに立っている、いつまでもばかみたいに手をふり続けている男の人が大好きだと思った。
「おとうさん」は他人みたいで、「男の人」と呼び方が変わっている。そして好きだと思っている。これはどういうことだろう。