近所の本屋に閉店のお知らせが貼ってあった。いまの部屋に引っ越してきてからの数年間、よく足を運んで本を買った店だ。特に目的もなく本棚を眺めるのも好きで、お決まりのコースができていた。
まず入ったら右に歩いて、雑誌コーナーへ向かう。なにかしら気になるものが目に入ってきて手に取る。それからエッセイ、ノンフィクション。おおよその並びは覚えているので、新刊があるとすぐにわかる。次は人文と自然科学の棚が向かい合うゾーンへ。本棚の幅に対して、仲正昌樹がやけに充実していて誰かのこだわりかなぁとか思う。折り返して、政治・経済と見て・・・と続く。
こんな風に空間や本棚と結びついた記憶がある。他にも本屋はあるし、本はネットで買えるけれども、あの空間を歩きながら思いをめぐらすことはもうできない。
ちょうど読んでいた山本貴光『記憶のデザイン』(筑摩書房)によれば、自分の記憶は自分の中だけで成り立っているのではない。外の環境と関わり合いによって生じている。この本では、膨大な情報がおしよせる環境にあるいま、どんな記憶の状態がよいだろうか、ということを考えていく。
『統計の歴史』、『急に具合が悪くなる』
今年ほど、統計を意識させられる年もない。感染者数、陽性率、重症率、再生産数などの数字が毎日更新される。都道府県ごとのマップが作られて、時系列のグラフが作られる。初期に起こった、検査数と偽陽性をめぐる議論も、直観ではとらえにくい統計の話だった。
ここ最近、ずっと統計の存在感が増している。個人がスマホを手にし、ネットワークにつながり、生み出されたデータが分析される。計算能力の増大もともなって、統計データがさまざまな意思決定に関与している。
全盛期を迎えたといってもいい統計は、どんな歴史をもつのか。オリヴィエ・レイ『統計の歴史』では、主にヨーロッパで統計が定着していく様子をたどる。17~18世紀に基礎がつくられ、19世紀前半に急速に広まることになる。
「その2人の関係」としか、言いようがない
角田光代『キッドナップ・ツアー』という夏休み小説がある。夏休みの初日、小学生のハルは外を歩いているとき、父親に「ユウカイ」される。それから二人はさまざまなところへ行く。買い物をして、海へ行って、宿で泊まる。ある日は公園でキャンプをする。またある日は、山に登って寺に泊まる。行き当たりばったりの旅路。これは親子旅行ではなく、あくまで「ユウカイ」というていで進む。
父親には謎が多い。仕事はどうしているのか、母親との関係はどうなのか。はっきりと語られることはない。想像するに、仕事はなさそうで、母親との関係も良くない。だらしない、みっともない、そんな印象を抱かせるばかりだ。そんな父親のことをハルは他人のように思い始め、しかし同時に好きになっていく。
遠くで手をふる小さなおとうさんは、他人みたいだった。
私は、あそこに立っている、いつまでもばかみたいに手をふり続けている男の人が大好きだと思った。
「おとうさん」は他人みたいで、「男の人」と呼び方が変わっている。そして好きだと思っている。これはどういうことだろう。
2020年上半期に読んだ本ベスト10
ノンフィクション
東畑開人『居るのはつらいよ』(医学書院)
臨床心理学の博士課程をでた著者は、沖縄のデイケア施設で仕事につく。待っていた業務は思っていたものとは違っていた。それはセラピーとケアという言葉で整理させる。学んできたのはセラピーだったが、現場ではケアが多くを占めていた。セラピーとは心に抱える問題に向き合って解きほぐす。ケアは心理の表面を整え、そこにいることを肯定する。しだいに明らかになるのは、「ただそこにいる」ことの難しさだ。たいていの場合、何かをすることがその場に「いる」ことを支えている。なにもしないでいることとか、意味のない会話とか、目的のない集まりとかの重要性と、その場を維持することの難しさってあるよなぁと思うことも最近増えて、この本の整理には助けられている。
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『都市は人類最高の発明である』、『アナログの逆襲』
最近は自宅で過ごす時間が多い。わりと普段からインドアではあるが、よく行っていた本屋が閉まっていたりすると途端に不自由になった気がする。いつも本屋に助けられているなぁと思う。
こういうときは本棚をながめて、気になった本の再読をはじめる。自然と読み方も変わってくる。前に読んだときに感想を残していればもっとおもしろかったのに、と悔やむなど。というわけで、2冊ほど書いておきたい。
エドワード・グレイザー『都市は人類最高の発明である』
都市というのは、人と企業の間に物理的な距離がないということだ。近接性、密度、身近さだ。都市は人々が一緒に働き遊べるようにするし、その成功は物理的なつながりの需要に依存する。(p.8)
この本の主張はタイトルが示すとおりで、都市のすばらしさを書いている。
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