オイディプス王をめぐって~『不道徳的倫理学講義』、『論理の蜘蛛の巣の中で』

本を読んでいて印象的な引用があると、ほかの本での言及が思い出されて本棚を見渡すことがよくある。聖書やギリシャ神話は頻出するので、読んだらもっといろいろ楽しめるのだろうなぁと思いつつ手が伸びない。あまりにも言及されるので、ぼんやりとはわかるのだけど。

ギリシャ悲劇のオイディプス王の物語もその一つ。あらすじはこんな感じ。

テバイの王ライオスは「子供が自分を殺して王になる」との神託をおそれ、幼い子供の命を奪おうとする。これを免れた子供オイディプスは、隣国の国王夫妻のもとで自分の素性を知らないまま成人する。オイディプスもまた「自分が父を殺して王となる」という神託を受け、育ての親のもとを去る。そのころ怪物スフィンクスが人々に謎を与えて命を奪っていた。対処に向かったライオスはオイディプスに出会う。争いが起こり、オイディプスは父と知らずにライオスを殺す。その後オイディプススフィンクスを倒し、テバイの王となる。さらに不作と疫病の原因は父殺しの犯人という神託にもとづき、犯人捜しをはじめる。ラストでその真相を知り、自分の目をつぶし宮殿を去る。


去年のベスト本の1つ、古田徹也『不道徳的倫理学講義』にもオイディプスの例がでてきた。この本は、倫理学にとって運がどう扱われてきたかを検討する。ある行動が倫理的かどうかを判断するとき、大きく2つの考え方がある。その行動の目的は善いか。また善い結果をもたらしたか。難しいのは、善い目的でも結果は運に左右されてしまうことだ。だから運の扱いに困ってしまう。そのような困難を抱えた倫理と運の関係を丁寧にたどる。

不道徳的倫理学講義: 人生にとって運とは何か (ちくま新書)

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2019年下半期に読んだ本ベスト10

半年ごとに書いているベスト10。今回もフィクションから5冊、ノンフィクションから5冊を選んでみた。フィクションのかたより方がひどいが、こればかりはしかたがない。早川SF強し。


フィクション

テッド・チャン『息吹』(訳/大森望 早川書房

息吹

あなたの人生の物語』から17年、待望の作品集が翻訳された。読む前の期待値は高すぎるくらいだったが、悠々と超えていった。9編すべてが素晴らしく、前作と並んでオールタイムベスト級。世界をまるごと創造し、驚くべき光景を目の前に表す。あるいは、地続きの世界に設定をもちこんで考え方を揺さぶる。設定のうまさ、作品のメッセージ性、語り口、どこをとっても傑作。

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『月をマーケティングする』、『デジタル・ミニマリスト』

アポロ11号とともに人類がはじめて月面に降り立ってから今年で50年になる。いまでは経営者が宇宙事業に乗り出し、宇宙ステーションへの輸送を手がけている。この間に機体制御、コストダウン、通信などの技術は蓄積されてきた。

次は火星へ、といった発言もときどき目にする。しかしなんというか盛り上がりを感じない。もっと大事なことがあるだろう、みたいに。アポロ計画のときはどうだったのか。

デイヴィッド・ミーアマン・スコット&リチャード・ジュレック『月をマーケティングする アポロ計画と史上最大の広報作戦』(訳/関根光宏・波多野理彩子、日経BP社)の帯文にはこうある。

人類がまだ火星に行っていないのは、科学の敗北ではなくマーケティングの失敗なのだ。

月をマーケティングする

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『「罪と罰」を読まない』、『読んでいない本について堂々と語る方法』 

名作と呼ばれる本は多い。そのたぐいのブックリストを見るたびに、どれだけ読んでいないかを知ることになる。読んだらきっと面白いんだろうなー、でも多すぎて読み切れんなー、とつねづね思っている。
 
ドストエフスキー罪と罰』といえば、名作リストの定番だ。とある宴席で居合わせた岸本佐知子三浦しをん吉田篤弘吉田浩美の4人は『罪と罰』を読んだことがなかった。でも、なんとなく知っていることもあった。逆に、読んだことがある人に内容を聞くと、あんまり覚えていなかったり。もしかして、読んだ人も読んでない人もそんなに変わらないのでは?だったら、読まずに集まって読書会をしてみよう、というユニークな企画が立ちあがった。その模様は『「罪と罰」を読まない』(文春文庫)に収められている。
 

『罪と罰』を読まない (文春文庫)

中井英夫『虚無への供物』、東浩紀「悪の愚かさについて、あるいは収容所と団地の問題」

日本三大奇書のひとつ、中井英夫の長編『虚無への供物』を読んだのはずいぶんと前のことになる。氷沼家におこるいくつもの不審な死とその謎とき。ペダンティックな推理合戦や意外な真相など魅力は多いが、ぼくにとってもっとも印象的だったのは、ある人物が推理を繰り広げるその動機だった。

新装版 虚無への供物(上) (講談社文庫)

 単なる偶然による事故死か、計画的な犯行か。
「どちらが人間世界にふさわしい出来事かといえば、むしろどこかに凶悪な殺人者がいて、計画的な放火なり死体遺棄なりをしたと解釈したほうが
まだしも救われる、まだしもそのほうが人間世界の出来事といえるじゃないか。(中略)人間世界の名誉のために、犯罪だと断定したいくらいだ。」
「氷沼家のおびただしい死人たちが、無意味な死をとげたと考えるよりは、まだしも血みどろな殺人で死んだと考えたほうがまだましだということだ。聖母の園の事件もそうだが、もし犯人がいないというなら、ぜひとも創らなくちゃいけない。狡知なトリックを用いてわれわれを愚弄し、陰で赤い舌を出している犯人が必要なんだよ。」(上巻p.376-377) 

『インフォメーション』、『見知らぬものと出会う』

20世紀中葉に「情報」には科学的な定義があたえられた。それ以降、情報はいたるところに見いだされ、情報技術の発展しつづけてきた。ジェイムズ・グリック『インフォメーション 情報技術の人類史』(訳/楡井浩一 新潮社)は、情報という軸で分野横断を試みる。シャノンの情報理論を起点として、通信、文字、言語、計算機、心理学、メディア、暗号、論理学、物理学、生物学を貫通する。物体として重厚な本だけれども、読みやすく興味深いエピソードが並んでいる。

インフォメーション―情報技術の人類史

第1章はトーキング・ドラムの謎から始まる。トーキング・ドラムとは長距離通信を行うための太鼓の奏法であり、アフリカで発見される。はじめヨーロッパ人にとっては、太鼓で情報伝達をしているということすら思いもよらないわけだが、解読できるようになってもメッセージの送り方に謎が残った。

鼓手は、単に″遺体″ではなく、"土くれに仰向いて横たわるもの"と、凝った言いかたをした。"恐れるな"ではなく、"口から出た心臓を引き戻せ、口の外にある心臓を、胸に引き戻せ"と言った。トーキング・ドラムは泉のごとく、修辞に富む文章を湧き出させた。いかにも効率の悪いやりかただ。それは、ただの大仰な言葉遣い、あるいは奇をてらった物言いだったのか?それとも何か別の意図があったのか?

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