『情動はこうしてつくられる』、『幸福の遺伝子』

リサ・フェルドマン・バレット『情動はこうしてつくられる』(訳/高橋洋 紀伊國屋書店)を読んだ。この本は、人の情動はどのようにして生まれるのかという問題を最新の科学をもとに解説する。一般に情動は受動的にもたらされると考えられているが、著者は異を唱える。本書の主張はタイトルに端的に示されているように、情動は能動的につくられるというものだ。

情動は、外界に対する反応ではない。人間は感覚入力の受動的な受け手ではなく、情動の積極的な構築者なのだ。感覚入力と過去の経験をもとに、脳は意味を構築し、行動を処方する。(p.64)

情動はこうしてつくられる──脳の隠れた働きと構成主義的情動理論

本書の立場は構成主義と呼ばれる。この理論の良いところは、情動にまつわる文化による違いや多様性を説明できる点だと思う。それは情動を構築する材料として感覚入力のほかに経験があるからだ。違う経験をもつ人々は同じ状況にあってもさまざまな情動をつくりだす。

著者はさらに踏み込んで、情動にまつわる概念をもっていないとその情動は知覚できないという。

「怖れ」の概念がなければ、怖れを経験することはできない。また、「悲しみ」の概念がなければ、他者の悲しみを知覚することはできない。必要な概念を学習したり、概念結合によってその場で構築したりすることは可能だが、脳は該当する概念を作り出し、それを用いて予測する能力を備えていなければならない。さもなければ、該当する情動に対して経験盲に陥るだろう。(p.236)

情動は進化による脳の構造だけではなく、文化の影響も受けている。概念がつくられ共有されるたび、情動のより細かい分類が可能になり、意思疎通がスムーズになるという。

個人的につくられた感がある概念としては、「萌え」とか「エモい」が思い浮かぶ。たしかに以前以後で経験が変わったような気分もある。いまではとりあえずそこに入れておけばいいフォルダみたいになってて、分類はむしろ雑になっている気もするが。


情動はコントロールできないものと思ってしまいがちだが、この本によればそうではない。情動は経験をもとに構成され、獲得した概念によって知覚される。ならば、経験や概念の学習は人の情動を変えうる。だとすると、自分の情動に介入する余地があることになる。その実践はよりよく生きることにつながるかもしれない。

***


並行して読んでいたのがリチャード・パワーズの長編小説『幸福の遺伝子』(訳/木原喜彦 新潮社)。パワーズ作品は『舞踏会に向かう三人の農夫』、『囚人のジレンマ』、『われらが歌う時』、『ガラテイア2.2』、『オーバーストーリー』と読んできたが、どれも文章が冴え、濃密なストーリーが素晴らしいので全部読むつもり。

幸福の遺伝子

『幸福の遺伝子』のあらすじはこんな感じ。どんな状況にあっても幸せにみえる女性タッサ。話すと周りの人も幸せな気分になる。その様子は奇妙にみえるほどだった。もしかすると何かの病気か、あるいは特別な素質、すなわち”幸福の遺伝子”をもっているのではと噂が広まる。メディアにとりあげられ、研究の対象になり、世間からも注目を浴びることになってしまい・・・。彼女との接点をもつ人物たち——作文の教員、心理カウンセラー、テレビ制作者、遺伝子研究者の群像劇。

病気と遺伝子に関係はすでに判明しているものもある。それならばと、幸福と遺伝子との関係を検証する科学者がでてくる。遺伝子編集の技術が発達する現代で次に向かうところは想像に難くない。その倫理的な是非はこの小説の重要なテーマではあるが、あくまでもテーマのひとつ。

一番印象的だったのは次のところ。ネタバレがあるので未読の人はご注意を。

タッサは大学の課題で日記を書いている。その文章とストーリーは素晴らしく、学生から先生まで絶賛する。後半でそれが彼女の創作であることが明らかになるまでは。

あれは事実ではない。フィクションだった。先生であるストーンは動揺する。でも、なぜ動揺しているのかはわからない。事実ではないと何かが失われるのか。読んだ時の感動はなかったことになるのか。いや、そんなことはないはずだ、と。

動揺のなかでストーンの思考は別のところへと向かう。彼女が創作したものは課題で提出された文章だけだろうか。彼女の幸せに見えるふるまいは・・・?


ここからは個人的な解釈を。仮に彼女のふるまいがすべて演技だったとしよう。幸せに見えるような演技。だとしたら何なのか。たしかに幸福の遺伝子は見つからないかもしれない。けれども、タッサが周りの人を幸せにしていた事実は動かない。

これはストーンが彼女の文章に対して思ったことと同じだ。そしてぼくが『幸福の遺伝子』を読んでいるときの感覚にも重なる。

幸福の秘密は遺伝子ではなく創作であり、本人を含めてそれを受け取る人がいたということなのではないか。遺伝子ではなく自分の物語を書き換える。テクノロジー全盛の時代にフィクションの意味を考えるとても良いメッセージだと思った。

 

 

  

幸福の遺伝子

幸福の遺伝子