2019年上半期に読んだ本ベスト10

・フィクション

リチャード・パワーズ『われらが歌う時』(訳/高吉一郎 新潮社)

われらが歌う時 上 われらが歌う時 下

ユダヤ人の父と黒人の母、3人の子供。人種差別のなかで生きるアメリカの家族の物語。家族それぞれのパートがつぎはぎで語られ、合流してくる。その間の世界史的な話をあくまで個人の視点から巧みに描いている。とりわけラスト、リアリティのレベルをはみ出してでも出現させた光景が忘れがたい。

とにかく文章がいい。書き出し「どこか空っぽの音楽室で兄が歌っている。まだ声は湿り切ってはいない。これまで兄が歌ってきた部屋の壁にはいまだに彼の声の反響が彫り込まれている。特別な蓄音機が発明され、その反響を再生する日を待ち続けている。」

 

イアン・マキューアン『贖罪』(訳/小山太一 新潮文庫

贖罪 (新潮文庫)

少女が口にしたひとつの嘘が恋人たちを引き裂いた。それから恋人たちには過酷な日々が待っている。たった一言で人生が壊れてしまう。元にはもどれない。どうしたらつぐなえるのか、そもそもつぐなうことはできるのか。彼女の贖罪とは。最後に読んできたものの意味が一気に変わる。物語に秘められた力を感じた。

今村昌弘『魔眼の匣の殺人』(東京創元社

魔眼の匣の殺人

『屍人荘の殺人』の著者の2作目。期待を裏切らないおもしろさだった。またも特殊設定が光る。「2日間で男2人、女2人が死ぬ」という未来予知、これとクローズドサークルの相互作用が絶妙。未来予知のせいでクローズドサークルが生まれ、クローズドサークルだからこそ人は未来予知に引きずられる。そんな状況での不可解な行動がロジックでひもとかれていく快感を味わう。

クリストファー・プリースト『奇術師』(訳/古沢嘉道 ハヤカワ文庫)

〈プラチナファンタジイ〉 奇術師 (ハヤカワ文庫 FT)

腕を争うライバル関係にあった2人の奇術師。お互いにトリックを見破り、改良を重ねてきた。派手な芸に磨きをかけ、やがて生み出した”瞬間移動”は絶賛を浴びる。このトリックには決して話せない秘密があり、それぞれの人生を大きく狂わせることになる。読み通すと、この小説自体が上質な奇術のように思えてくる。クリストファー・ノーラン監督の映画もおもしろかった。
 

紫式部源氏物語1 A・ウェイリー版』(訳/毬矢まりえ、森山恵 左右社)

源氏物語 A・ウェイリー版1

英訳された源氏物語を再び日本語にした戻し訳。西洋の文化がとけこんだカタカナまじりの地の文が魅力。歌は現代訳に原文がつづく。このコントラストがやばい。歌が現代語訳とセットでわかりやすいし、歌のすごさがよりわかる。ゲンジどうしようもねえなぁと思いつつ、しかし身に起こる悲劇に同情しつつ、レディたちの心情の切なさを想う。

 

・ノンフィクション


東浩紀『ゆるく考える』(河出書房新社

ゆるく考える

エッセイ集。こんな風に考えたい、文を書きたいと思う本。とくに、日経新聞での連載は身近な話からはじまって、哲学的・抽象的な話へとゆるく軽快に接続する。平易でありながら、たいへん刺激的。評論集『テーマパーク化する地球』とセットで読むとなお良い。

ティーヴン・ウィット『誰が音楽をタダにした?』(訳/関美和 ハヤカワ文庫)

誰が音楽をタダにした?──巨大産業をぶっ潰した男たち (ハヤカワ文庫 NF)

ヒットメーカーの音楽エグゼクティブ、新作をネットにリークするCD工場の労働者、mp3を開発した音響エンジニア。この3人を主人公にすえ、オーバーグラウンドからアンダーグラウンドまで、インターネット以降のアメリカの音楽産業の激動を描く。 話としてのおもしろさはもちろん、新しいテクノロジーが現れたときの教訓としても一読の価値あり。

マーカス・デュ・ソートイ『素数の音楽』(訳/冨永星 新潮文庫

素数の音楽 (新潮文庫)

去年読んだ『知の果てへの旅』が素晴らしかったので作家読み。本職である数学のノンフィクション、題材は素数。その研究の歴史をたどることで、数学史を概観し、数学や研究者の魅力を伝えている。人物の魅力の引き出し方、話のつなげ方、わかりやすい比喩がさすが。いろんなジャンルでこんな本を読みたい。

松村圭一郎『うしろめたさの人類学』ミシマ社

うしろめたさの人類学

うしろめたさや贈与について考えたくて手に取った。なぜ人は贈り物(贈与)と商品(交換)を区別してしまうのか。すごく興味深い。交換と贈与のどっちがよいとかではなくて、いいところも悪いところも見ていって、人間を理解しようとする本。よみやすさは抜群。

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山本貴光『文学問題(F+f)+』幻戯書房

文学問題(F+f)+

夏目漱石の文学論を読み解き、アップデートする試み。問いの中心は「文学とはなにか?」。漱石は極めてクリアな定義を示している。すなわち、F(認識)+f(情緒)。 とにかく話の進め方が丁寧でありがたい。実践パートは古今東西の作品の読解。ひとつの文からこんなにたくさんのことを読み取れるのかという感動がある。本書いわく、文学とは感情のハッキングである。自分にはしっくりくる表現だった。

 

・番外 

立体交差/ジャンクション

最後にもう1冊。日本全国のジャンクションの写真集、大山顕『立体交差』(本の雑誌社。この表紙みたいなかっこいい、でかい構造物を好きなだけ眺められる。そしてまた、巻末の論考「立体交差論」がすばらしい。生麦事件を交通事故に見立る導入から見事なオチまで、冴えた水平思考が楽しい。