エコーチャンバーの外へ~『#リパブリック』、『江戸の読書会』

 

最近、「有名」がわからない。自分が有名だと思ったものでも、周りは知らないことが普通にあり、同じくらいその逆もある。SNS以降だろうか、きっと違うクラスターにいるってことなんだろう。同じ本を読んでる人にもめったに会わない。だからこそ、出会ったときはうれしいけど。みんなで昨日見たテレビの話をしていた頃が懐かしい。


その点、ネットは便利だ。SNSとかパーソナライズのおかげで、好きなものを簡単に見れるようになった。YouTubeAmazonのレコメンドでおもしろいものを見つけることもよくある。その意味で、パーソナライズはいいことだ。

一方、社会的な問題もある。キャス・サンスティーン『#リパブリック——インターネットは民主主義になにをもたらすのか』(勁草書房)では「エコーチャンバー」という言葉を使って、その問題を指摘している。エコーチャンバー(共鳴室)とは、自分と好みや主張が似た人とだけつながって、実質、自分の声の共鳴を聞いているような状態のことだ。

#リパブリック: インターネットは民主主義になにをもたらすのか

エコーチャンバーはなぜ問題なのか?それは極端化・過激化の恐れがあるからだという。増幅されて反響してくる自分の声を聴いていると、見解はしだいに強化されていく。政治的な見解だとしたら、他者との距離が対話不可能なほどに開いてしまい、行きつく先は不毛な党派的争いになる。

 

興味深い事例として、集団分極化という現象を紹介している。

公衆が細分化し、さまざまな集団が独自に好みのコミュニケーションパッケージを設計しているとすると、結果として集団の成員は各自のもともとの傾向に沿う形で互いにより過激な立場へと向かい、状況は変わらないどころか細分化はさらに進む。同時に、それぞれが考えの似た討論グループは、たんに討論のほとんどが成員同士でおこなわれているという理由だけで、しだいに引き離されていくだろう。

 本書では民主主義の前提として、①他者の見解にさらされること、②共通の経験を挙げているが、エコーチャンバーに分断化された社会は、この両方を失うことになる。


そこで、提案しているのは、セレンディピティ=思いがけない出会いをしかけることだ。新聞を読んでいるとき、思いがけない記事が目に入ってくるような感じで。つまり、自分と反対の意見に目が向くような環境や好奇心が重要だと。

 

たしかに、そうしたほうがいいってのはわかる。でも、そんなことしたいだろうか、とも思ってしまう。だって居心地がいいからそうしているのだし、民主主義のためって言われてもピンとこないし...。もっと積極的な動機がないとうまくいかないんじゃないか。

 

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前田勉『江戸の読書会——会読の思想史』(平凡社ライブラリー)は、会読(=江戸時代の読書会)に注目し、明治維新に至るまでの思想的影響を論じている。端的にいえば、江戸時代、身分制度のなかにありながら、平等で自由な議論を交わすことができた会読が民主主義の基盤をつくっていった、ということになる。

江戸の読書会 (平凡社ライブラリー)

会読の特徴として、3つの原理を挙げている。

  1. 相互コミュニケーション性・・・参加者による討論を奨励する。
  2. 対等性・・・討論において、参加者の貴賤尊卑の別なく、平等に行う。
  3. 結社性・・・読書を目的とし、規則を決め、複数の人が自発的に集会する。

これらは江戸時代においては、特異なものだった。タテの関係が強く、身分制度もあり、百姓一揆などの徒党も禁じられていたからだ。

 

この空間の特異性が、会読の流行を支えたのではないか、と著者は見ている。

読む会読の場は自己の「発明」を出し合い、生きた痕跡を残すことのできる創造的な場であったといえるだろう。蘭学者にしても、国学者にしても、民間で自主的な会読をしたのは、こうした場が身分制度の社会とは異なる、知的刺激に充ちた空間だったからである。そもそも、生きた痕跡を残したいという思いは、身分制度のもとで自己の才能を伸張させることのできない者たちのものであった。生まれたときから生き方が決まっていた彼らは、「草木とともに朽ちる」ことを拒否して、日常のマンネリズムから飛び出し、知的創造を遂げることのできる会読の場に集まってきたのである。

 

さらに、ロジェ・カイヨワの遊び論(『遊びと人間』)の概念を使って、次のように書いている。

蘭学国学などの共同読書の場が、立身出世にかかわらないだけでなく、お互いの読解力を競い合う遊び(アゴーン)の場になったわけである。そこでは、これまで誰一人読解することのできなかった、難しい書物の翻訳する困難を克服する「連城の玉をも得し心地」、喜び(ルドゥス)があったのである。

 

原理的に、勉強しても出世できない時代、立身出世のためではなく、知的刺激やおもしろさを求めて会読は行われた。しかし、時代が進んで身分制度がなくなると、会読は衰退していった。この逆説は、大変興味深い。遊びのルールは、試験勉強へと変わってしまったのだ。

 

 

好奇心が先か、おもしろさが先か、はわからないけれども、異質なものに触れる動機づけとして、遊び的/ゲーミフィケーション的なアイデアがいるのではないか。ポケモンGOがみんなを歩かせたように、エコーチャンバーの外へ歩き出させるような。

  

#リパブリック: インターネットは民主主義になにをもたらすのか

#リパブリック: インターネットは民主主義になにをもたらすのか

 
江戸の読書会 (平凡社ライブラリー)

江戸の読書会 (平凡社ライブラリー)