ひみつ道具の物語~『透明マントを求めて』、『気象を操作したいと願った人間の歴史』

科学技術の発展は目覚ましい。少し前までは想像の世界だったものが現実になる時代。想像されたものはいつか現実する、そんな気さえする。科学技術の歴史は、想像力と隣り合わせで進んできた。想像力の世界を覗こうとするとき、フィクションはいい材料を提供してくれる。ドラえもんひみつ道具が実現された、なんていうニュースをたびたび目にしたりする。
 
『透明マントを求めて』は、タイトル通り、透明マントをつくる試みの歴史について書かれている。サブタイトルには、天狗の隠れ蓑からメタマテリアルまで、とある。透明になるという考えは古くから存在し、はじめはフィクションに現れる。それが時代を経て、メタマテリアルという形で実際に作られようとしている。

物語内に出てくる透明化の初出は、ギリシア神話(B.C. 9C)までさかのぼる。被ると見えなくなる「ハデスの兜」である。日本では平安時代の『宝物集』(1177-81年)にでてくる「天狗の隠れ蓑」が似た機能をもっている。SFではウェルズの『透明人間』(1897年)が有名で、ここで科学的な用語による解説があらわれる。近年でも『ハリーポッター』や『攻殻機動隊』など透明化が現れる作品は多い。また、客前のエンタメという観点からは、死角と錯覚を利用したマジックも重要だ。

このように透明化というアイデアは古くから存在し、人々を惹きつけてきた。これが物語やエンターテイメントだからといって、現在の視点からはとるにたらないものではない。むしろ本質を含んでいると指摘する。ウェルズを取り上げた箇所では、

文中に出てくる"幾何学"と"屈折率"という概念は、現代の透明マント理論の根幹となっているものなのだ。

とあり、鏡をつかったマジックについては

これらのマジックには、透明マントのエッセンスともいうべき重要なポイントが含まれている。それは、隠したい部分に何もないよう錯覚させるため、後ろのカーテンをそこに再現している点だ。実際には鏡を用いて左右のカーテンを映すことで、その再現を行っているのだが、本書の主役である透明マントの概念もこれに極めて近い。つまり、何らかの現象を利用して、隠したい対象物の真後ろにある風景を再現してやればよいのである。

とある。

 実用的な透明化の例として、ステルス戦闘機が挙げられている。ここでいう透明とは、目に見えないのではなく、レーダーに映らないという意味だ。上空の戦闘においてこの優位性は大きい。ステルス戦闘機の特徴といえば、その形状だ。平べったい多角形になっていることで、レーダーからの電磁波をそのまま反射せず、散乱させることで感知されない。

では、一般的にイメージされる透明マント、つまり全方向に対する可視光の透明化についてはどうか。こちらも理論とプロトタイプはすでに存在している。それを実現するのがメタマテリアルだ。メタマテリアルとは金属構造を用いた人工素材のことで、自然界にはない任意の光学特性を付与することができる。
↓こんな感じで。 
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『気象を操作したいと願った人間の歴史』は、気象操作に焦点をあてる。天気を自由にしたいというのも普遍的な人間の欲望である。生活における切実さという意味では、透明マントよりも重要だといえるかもしれない。とくに、農業社会において気候は最重要事項だからだ。そのため古くから迷信めいた実践がなされ、悲喜劇が展開する。
気象を操作したいと願った人間の歴史

気象を操作したいと願った人間の歴史

 

 この本もフィクションからスタートする。まず人間の欲望を理解するところから始めようというわけだ。テクノロジーは時代によって変わるが、人間の欲望については普遍的で、現在にもそのまま当てはまる。こちらも初出はギリシア神話らしい(ギリシア神話すげえ)。そしてSFでは、ヴェルヌ『地軸変更計画』やヴォネガット『猫のゆりかご』など多数を挙げ、天気と気候の支配をめぐる波瀾万丈の歴史の現実に最も近いのはこのような悲喜劇だと指摘する。

 
気象操作の実践の代表例は、人工降雨である。干ばつは農業にとって致命的なダメージを与える。なんとかしたい。そこで雨を降らせようというわけだ。やり方の試行錯誤は続く。祈りや雨ごいから始まって、爆発、化学物質の散布などなど。とても科学的と呼べないものも横行し、人の不安に付け込みお金を巻き上げる商売まで現れる。
 
そのほかにも、霧を消したい、オゾン層に穴をあけたい、地球温暖化を止めたい、ハリケーンを逸らしたいなど、様々な計画がなされてきた。著者は急進的な施策には批判的である。科学的根拠や費用対効果、影響を予測できないとの理由から。
 
個人的には、理想の天気をコントロールできるとしても、誰がそれを決めるのかという問題が大きい気がする。結局、いくら道具が発達しても、道具を使う側の問題は残り続ける。これはのび太が教えてくれた教訓だ。