連想読書日記

本を読んでいるときに湧きおこった連想のゆくえについて。

國分功一郎『中動態の世界――意志と責任の考古学』

 人はどれだけ能動的なのか。意志というものは、たえず働いているのか。そんな疑問から本書は始まる。難しい話ではない。日常によくあることだ。いま酒を飲んでいるのは、意志によるものなのか?ゲームをやり続けてしまうのは?「強い意志をもて」ってどういう意味?

ここであげた例は、誘惑に対抗する意志のような構図だ。そこには、能動と受動という対立があると考えてしまうが、本当にそうなのか。

なぜ能動対受動という対立を考えてしまうのか。その要因は、言語の文法に見出せるという。そのまま、能動態と受動態である。

そのような言語のあり方が思考の可能性を規定するという考えのもと、文法の歴史をさかのぼっていく。この過程が非常にスリリングでおもしろい。そこで探り当てたのは、いまはもう失われた中動態というもの。それは能動でも受動でもない。かつては、能動態は受動態との対ではなく、中動態と対になっていたのだ。この対は、主語が、動詞によって示される過程の外にあるか内にあるかで区別される。

一番おもしろかったのは、文法の歴史をたどり、「中動態が失われること」と「意志と責任の前景化」が並行しているという指摘。つまり、主語の意志を強調しようとすると、動詞の用法も変わってくるということだ。その結果、意志は当たり前のものとして受け入れられているが、この議論はその型を壊して、別の見方を教えてくれる。 

中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく)

中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく)

 

 

 

 いくつか連想した本から引用。

舞城王太郎ディスコ探偵水曜日

「この世の出来事は全部運命と意志の相互作用で生まれるんだって、知ってる?」

東浩紀「情報自由論」

私たちはフルタイムには人間ではいられない。ひとは、特定の関心領域においては人間的な主体として行動するが、それ以外の多くの場面では、動物的な消費者として既存の選択肢にたやすく従ってしまう。

ディスコ探偵水曜日(上)(新潮文庫)

ディスコ探偵水曜日(上)(新潮文庫)

 

 

情報環境論集―東浩紀コレクションS (講談社BOX)

情報環境論集―東浩紀コレクションS (講談社BOX)